大動脈解離と腸閉塞後お粥やうどん以外の初めての外食

  2024年01月そうそう大動脈解離と腸閉塞になってから、病院食と家での食事を含めて主食はお粥かうどん、もしくは蒸しパンしか食べていない。なるべく消化が良いものということで外食する場合もうどんだけしか食べないようにしていた。

 自宅では一度に7~9食分程度のお粥を一度に作って冷凍したものをレンジで解凍して食べている。そろそろ普通の御飯にしてもいいかもしれないが、体重のほうをもう少し落とさなくてはいけないということで水増しできるお粥のほうがダイエットにはいいかなと思ってお粥のままにしている。

 しかしいつまでも外食はうどんばかりではということで今日の昼はサイゼリアのランチでタラコとエビのドリアというものを食べてみた。

 正直なところ病気になる前は、量的に少ないと感じていた量なのだが、消化を良くするためによく噛んで少しずつ食べていたら半分くらい食べた段階でだんだんお腹がいっぱいになってきた。食べる前にランチについていたコールスローサラダやスープをカップ一杯だけ食べたり飲んだりしていたのだが、この程度の量で満足するようになったことに驚いた。

 最終的には残りの半分も食べ切ったのだが、お腹が重く胸やけもしたので、今日はちょっと食べ過ぎたかもしれない。だいたいチーズが重い。まあ仕事も辞めて運動量が激減しているから、この半分くらいの食事がちょうどいいのかもと思いました。

2024/02/28(水)の日記 紙芝居を買ったよ

  介護施設で紙芝居を演じる場合、その紙芝居は基本的に図書館で借りて来るのだが、個人的に購入することもある。昨年はクリスマス関係の紙芝居をひとつ購入した。クリスマスの時期には図書館からクリスマス関係の紙芝居が全部借りられてしまって無くなってしまうからだ。

 またAmazonやヤフオクをチェックしていて安く売っているのを買うこともある。昨日Amazonで定価3,500円の紙芝居が外箱が破損しているという理由で中古扱いということで1,162円で売られていたのでそれを購入したのだが、本日それが届いた。

 こういう紙芝居は図書館には置いていないので購入したのは良いことだと思ったのだが、購入してから気づいてしまった。この紙芝居、通常サイズじゃなくて大型サイズだと。つまり紙芝居の舞台に入らないサイズだから、紙芝居の舞台が使えない。まあ、今の私は紙芝居の舞台を使っていないから良いのだが、将来的には自作して使いたいからちょっと困る。


 クリスマス用に買った紙芝居と重ねてみると一目瞭然。ぜんぜん大きさが違う。そうかあ、大型サイズだったから元値が3,500円と高かったんだね。普通サイズの紙芝居はだいたい2,000円前後だからね。

 なお、この古事記神話からの大国主命(おおくにぬしのみこと)の話だが、因幡の白兎と大黒様の話と言ったほうが分かりやすいかもしれない。紙芝居の内容も古事記神話を忠実になぞっている感じで、児童や認知症が入った高齢者に分かりやすい内容で無かったから、実際にこの紙芝居を使って演じる場合は書かれたセリフや文字をそのまま読むのではなく、ちょっと分かりやすくアレンジして読む必要がありますね。

 紙質や印刷具合とかイラストは良い感じなので、何とか文章をアレンジしてうまく使いたいものです。

2024/02/27(火)の日記 古巣の様子と自分のこと

  退職した先の介護施設へと今週もまた紙芝居をしにいった。ボランティアなので金銭の移動は何もない。先週は3階にて紙芝居をしたので今日は2階だ。コロナとかの対策で利用者さんをひとつのユニットに集めての紙芝居は止めておいた。フロアにある三つのユニット、A、B、Cのうち、AとCのユニットのそれぞれで紙芝居をしたのだ。

 図書館から借りているのは3冊の紙芝居だが、それを3冊とも2回連続で行うと計6回。それでは私の喉がつぶれてしまう。もちろん声をセーブして通常の読み方で紙芝居をすればいいのだが、声色を使って演じるとだいたい3冊で限界が近くなる。そこでそれぞれのユニットで2冊ずつ、計4回の紙芝居を演じてきた。

 しかしAユニットの利用者さんは興味を持って聞いたり見たりしてくれて反応も非常に良かったのだが、Cユニットの利用者さんは紙芝居を見てるうちに時々居眠りしそうになったり、実際にしたりという感じでした。

 まあそれは良いとして一人の利用者さんの入れ歯が紛失しているということで、その人の居室で布団や荷物をひっくり返すような様子で入れ歯を探していました。たいていそういう場合は利用者さんが食後に外した入れ歯をふきんやティッシュにくるんで置いておいて、そのままゴミ箱に捨てちゃうというケースが結構あるんですよね。今回はどういうケースなのか分かりませんが。

 というわけで既に退職している私は、『また大変なことになってるなあ。やはり認知症が出ている利用者さんは物忘れも激しいなあ』と他人事のように思っていたのですが……。自分の物忘れというか認知症的な感じの事件(というには小さなこと)が有ったのです。

 ふたつ目の紙芝居を終えて紙芝居を片づけ始めたとき、紙芝居を入れる付属のビニールケースが一つ足りなかったのです。テーブルの上にも無い。置いたはずのテーブル横の洗面台にも無い。あれッと思って最初に紙芝居をしたユニットのほうに探しに行ってもやっぱり無い。

 何度も二つのユニットを往復して探したけど、やっぱり無い。廊下に有るソファに置いたのかと思ってそこも探したけど無い。うーんこれは図書館に弁償かな? と思い始めた時、ユニット担当の職員が、『ここにあるのは違うの?』と洗面台の向かって左側に置いてあるビニールケースを指さしました。

 そうです。私は洗面台の向かって右側しか見てなかったのです。なんかもう自分の目が悪いのか頭が悪いのか、いやになっちゃいますね。

2024/02/26(月)の日記 大高緑地公園を散歩

  昨日は雨だったから外を散歩することはなかったが、今日は朝から風は強かったものの腫れていたからまた別の公園へ行き散歩をしてきた。名古屋市緑区にある大高緑地公園だ。この公園は小学校の頃徒歩で遠足に行く場所として記憶しているし、高校の頃はここで男子は10キロ、女子は5キロのマラソンをしていた場所としての記憶がある。

  大高緑地公園内に有った園内の地図です。恐竜のイラストが描かれているのはなぜかというと、ディノアドベンチャー名古屋|名古屋市緑区大高緑地内の恐竜探検 (dinoadventure.jp)という施設が公園内に有るからです。ただこの日は月曜日でしたので有料施設は全部お休みでした。まあそういった施設が休みの日のほうが散歩目的の私たちとしては公園が空いていて良いですからね。あえてこういった日を狙いました。

 第一駐車場に車を停め、しばらく歩くと琵琶ヶ池という池が見られます。さすがに有料施設はお休みですからスワンボートなどは全部ボート乗り場に係留されていますね。

 例によって子供向けの遊具が用意してある場所もあります。さすがに本当に誰もいませんでした。三連休後の月曜日だし寒かったし風は強いし、有料施設は休業中ですからね。

 さらに歩いていくと菖蒲園が見えてきましたが、当然ですが菖蒲が咲いている季節ではありません。しかし、おや? 向こうのほうに何やら梅の花が咲いているようです。そのまま梅林へと歩いていきました。

 満開には程遠いですが、確かに梅の花が咲いています。私は年中鼻が詰まっていて匂いが分からない人なのですが、一緒に散歩をしていた妻は『梅の花の匂いがすごくする』というように言っていました。

 どうやら梅の木に掛けられた札を見ると、色々な種類の梅の木が一か所にまとめて植えられているようです。ちなみに先日まで梅まつりのイベントが行われていたようで空き地にはテントが張って有ったり資材が置いてあったりしていました。今日は有料施設はお休みですからイベントも無い日だったみたいですね。大高緑地 花梅まつり | 【公式】名古屋市観光情報「名古屋コンシェルジュ」 (nagoya-info.jp)

 梅林から菖蒲園のほうに戻ってくる途中で竹が生えているのを見つけました。そういえばと地図を見ると竹林散策路というものがありましたので、そちらにも足を伸ばしてみることにしました。まずは第一駐車場まで戻り、車で第八駐車場へと移動したら、そこから徒歩で竹林散策路へと向かいます。


 案内の看板を見てみると端から端までで530mあるらしいので往復で約20分くらいなので歩いてみることにしました。


 入り口はこんな感じで竹林というよりは普通の山道というか田舎道という感じでしたが、奥に進むと昨日の雨のせいで道がぬかるんできたので途中で引き返してきました。


 このあたりで引き返したのですが、道に足を踏み込むと『ぐちゅっ』という感じで足を取られたり水がしみ出してきたりするので、ちょっと足を取られて転んだら嫌だなということで今回は帰ってきてしまいました。公式サイトの写真を見るともっと道は綺麗っぽいですけどね。竹林散策路 - おでかけナビ・名古屋と愛知の公園であそぼう!おでかけナビ・名古屋と愛知の公園であそぼう! (aichi-koen.com)

 また天気が続いた日に行こうかなと思いました。

大動脈解離と腸閉塞になってトイレが大変になった件

 今年の1月3日の夜に発症し、5日の夜から入院することになって1月30日に退院した大動脈解離と腸閉塞だが、前にも書いたように退院したからといって治ったわけではない。大動脈解離は急性期を過ぎて慢性期に入っただけでさらに悪化したり大動脈の別な箇所やその他の動脈のどこかで新たな解離が起きたりするかもしれない。

 なぜなら大動脈解離の原因となる高血圧と動脈硬化のうち高血圧については降圧剤等の服用で血圧を下げているのだが、動脈硬化についてはそのまま残っているからだ。そして腸閉塞は治っているとはいえ大動脈から分岐して腸へと続く血管もまた解離して血流が悪くなったままなので腸の動きが悪いままとなっている。

 だから筋トレやグッと力を入れる作業等は控えなければならない。それが原因で仕事を辞めたのだが日常生活でも力を入れなければならない場面はいくらでもある。重いものを持ったりするのは自分で気をつければいいのだが、なかなか気をつけづらいこともある。それがトイレでいきむことだ。

 以前は毎日朝食後にするすると排便が有ったし、日によっては一日に2度や3度も排便があることもあった。

 しかし大動脈解離と腸閉塞になってからは、排便をするにも一苦労するようになった。まず以前のように朝食後に必ず出るということが無くなった。そもそもなかなか便意が出てこない。だからトイレに座ってさらにトイレットペーパーを重ねてそれを肛門に当て指でペーパー越しにマッサージをするように何度も押して刺激を与えるようにしてみた。そうすると徐々に便意が高まり、ちょっとだけいきむと出てくるわけです。

 ところが大動脈解離の件もあるので力強くいきむのは厳禁なのでいきむとしてもほんの少しだけにとどめないといけない。あまりにも強くいきんでまた大動脈解離が起きたら今度こそ死んでしまうかもしれないと思うとどうしてもセーブしてしまう。

 というわけで肛門のマッサージをしても出ないときは出ないわけで、昨日と一昨日は出ませんでした。今日は何とか先ほど出ましたので良かったのですが、以前はするすると毎日出ていた私が毎日排便の有る無しで悩むようになるとは思いませんでした。

 以前、介護施設で働いていた時は『便がでないんだわ……』と悩むお爺さんお婆さんを見て、『出るときには出るんだからそんなに悩まなくてもいいのに』とひそかに思っていましたが、ごめんなさい。自分が当事者になるととても悩みますね。心の中で謝罪しました。

 さてそんな私が最近きなこをなるべく摂るようにしていまさす。色々調べてみると大豆から作られたきなこは動脈硬化を予防するとか便秘に効くとか書いてありますので朝昼晩とスキムミルクときなこをカップでお湯に溶かして飲んでいたのです。

きな粉の効果・効能|健康で若々しくいたい人におすすめ | 株式会社真誠(しんせい) (shinsei-ip.ne.jp)

 そういうわけで動脈硬化対策はもちろん、便秘対策としてもきなこを摂っているのになんで2日くらい排便が無いときがあるんだろうと疑問に思ってもう一度ネットで調べてみたら、『不溶性食物繊維が豊富なきなこは便の量を増やして便秘に効くけど、不溶性食物繊維を摂りすぎると逆に便秘になる』というようにも書いてありました。

食物繊維をとりすぎると便秘が悪化!?便秘改善になる量と食材とは | NHK健康チャンネル

 なんでも過ぎたるは及ばざるがごとしということなのですね。

2024/02/24(土)の日記 上野台公園を散歩

  大動脈解離と腸閉塞を患ってから医者等からは下半身を動かすリハビリ運動を勧められている。骨盤まわりの筋肉を動かすと腸の動きも良くなるそうであるし、ふくらはぎは第二の心臓とも言われていてそこの筋肉を鍛えるのは心臓や血管にも良いらしい。

 ということでアキレス腱伸ばし、かかと上げ運動、もも上げ運動、そしてスクワットなどのリハビリ運動。そして有酸素運動としての散歩が勧められている。

 リハビリ運動は毎日しなければならないのだが、なかなか規定通りにはいかない。数を減らして実行したり、忘れてしまっている日もある。もちろん規定通りやそれ以上にしている日もある。そして散歩も寒すぎたり雨が降っているとしない日もある。それではいけないのだが、全くしないよりは良いと考えている。

 さて今日は天気が比較的良かったので名古屋市の隣にある東海市の中にある上野台公園というところに行って散歩をしてきた。

 地図を見れば分かるが、池の周囲にウォーキングができる遊歩道がある。今日は妻といっしょに二人でこの遊歩道を散歩してきた。コースはだいたい一周約600メートルとあるが、一周約10分だったので三周してきた。


 ここには何度か訪れて散歩しているのだが、遊歩道の向こうにはグラウンドが有りお年寄りたちがグランドゴルフをしていたり、若い子たちが野球をしていたりする。今日は若い子たちが使うようで徐々に人が集まり出してバッティングなどの練習をしていた。


 その他子供たち用の遊具も有ったりするが、三連休の中日の土曜日だというのに子供たちの姿は見えなかった。やはり今日は昨日よりは暖かいとはいえやっぱり寒いからだろうか。


 まあ一応、ブランコで遊んでいる親子(父と女児)が一組だけ居たが、それは写真には撮らなかった。


 で、池の周辺の遊歩道を歩いていきます。


 池の反対側になります。もう少しで一周してしまいます。前述したように一周が徒歩で約10分です。


 春以降になると周辺の木々や池の一角に色々と花が咲くそうですので、その季節にも行ってみたいですね。この上野台公園は同じ東海市の大池公園や聚楽園のしあわせ村という地元では比較的有名どころの公園と違ってちょっとマイナーっぽいので駐車場がいつも空いていて便利です。まあ遊歩道の距離が短いのがちょっと難点ですけど。

 その後はこの公園の近所のスーパーに行き、妻は買い物。私はスーパーの中をぐるぐると回って散歩の追加をしてきました。

入院中の暇つぶしというか趣味の話

  現在、仕事をしていないので本(電子書籍)を読んだりネットで動画を見たりして過ごして、合間にリハビリの運動をするという生活を送っているのだが、基本的に入院中もそうやって過ごしていた。

 1月5日から8日まで入院していた最初の病院も、8日から30日まで入院していた藤田医科大学病院も共にwifiが完備していたのでネットを使うことが出来た。もちろん最初の頃はネットを使う余裕がないほど苦しかったので、趣味を楽しむことが出来るようになったのは1月10日前後くらいだったと思う。

 持参していたのはandroidのスマホが一台とAmazonの電子書籍リーダーのkindleだけだったが、暇つぶしにはこれで十分だった。ただ、入院患者の中にはノートパソコンを持ち込んでいる人もいて自分の会社の人とネットミーティングをしているような人もいた。入院患者の中にも色々な人がいるものだ。

 もちろん病室のベッドの横には各人にそれぞれテレビが設置してあったのでそれ用のプリペイドカードを購入すればテレビを見ることも可能なのだが、特にテレビの必要は感じなかった。見たい番組はTVer(ティーバー)で見ることが出来たからだ。

 それ以外の動画はAmazonプライムビデオとかNETFLIXで見ていたのだが、さすがに疲れるので一日中動画を視聴しっぱなしということは無い。1時間も見たらだいたい休憩を入れていた。

 見てたのはだいたい下記のような番組だ。

・世界の果てまでイッテQ(TVerで見た)

・内さまワールド(NETFLIX限定配信)

・マクロスフロンティア(もう何回も見直している)

・魔法使いプリキュア(何でも来年度続編が有るらしいので)

 あとは電子書籍で本を読んでいたのだが、既に買っていたけど読んでいなかった本を読んでいた。しかし途中から既に読んでいた本のシリーズを3度目か4度目の読み直しということで【異世界のんびり農家】という本の4巻目あたりから読んでいた。

 なぜ1巻から読まないのかというと、このシリーズは漫画化されているのだが、漫画化されていない部分辺りから読んでいたからだ。(ちなみに退院後の今、1巻から読み直し始めました)

 ともかく入院中は食事とリハビリと食前食後の散歩とトイレ以外はベッドの上で動画を見たり本を読んだりするしかなかったわけです。でも今から考えると暇つぶしというよりは普段楽しんでいることを入院中もやっていたというだけですね。

 やはりヒキコモリはヲタク趣味の人間が最強ということなのでしょう。病室で一緒になっていた82歳の心臓病で入院中の男性は『誰も来てくれない』と言ってメンタルがやられていましたけど。(というかコロナ対策で誰も来れないのですけどね)

 現在は自宅で過ごしている私ですが、仕事を辞めてもメンタルがやられる様子はまだないです。

2024/02/22(木)の日記 医療費10割負担

  昨日は歯科を受診したのだが今日は妻と二人で内科の定期受診をした。血圧のコントロールは藤田医科大学のほうで行うので、私の場合は貧血の為の受診だ。貧血にも色々あるが大球性貧血というやつだ。昔は治療法がなかったので悪性貧血とも呼ばれていた貧血だ。

 今では治療方法があるので適切に受診して服薬等をすれば問題ないのだが、治療薬としてはビタミンB12の錠剤などがある。胃からビタミンB12を吸収する為の内因子が無い人は経口での内服ではなく注射により体内にビタミンB12を取り入れることになる。

 私の場合は経口での内服でOKなのだが、1月4日の入院直前の血液検査では赤血球の数が541万μl であったのが、入院後から2月15日までビタミンB12の錠剤を飲んでいなかったら、2月15日の血液検査では410万μl まで減っていた。正常値は435~555万μl なので正常値の下限よりも下の数値となっていたのだ。

 というわけで今回の受診ではビタミンB12の錠剤、商品名はメコバラミンという錠剤を日数分処方してもらった。

 妻は妻で受診して必要な薬を処方してもらったのだが、二人とも現時点では健康保険証の任意継続の手続き中の為、健康保険証がが無い。だから負担割合は10割だ。もちろん後日新しい健康保険証が手元に届いた後、会計処理をしてもらって7割分を返還してもらえる予定なのだが一度に10割の医療費を払うのは結構負担だ。

 しかし考えてみると健康保険証を任意継続でするとそれまで会社が負担していた分も個人で月々の健康保険証の代金を払わないといけないのでそれはそれで大きな負担である。私個人の例で言うと毎月健康保険の代金として9,000円を負担していたのでこれからは18,000円を負担しなくてはならない。

 もちろん毎月その健康保険証の代金の元を取れるほどの医療費を使う予定は無いと思うが、今年に入って私が大動脈解離と腸閉塞になって入院した時のことを考えたら、いわゆる【保険】として健康保険に加入しておくのは必要だと思う。

 というか保険で元を取ろうという考え自体が間違っている。何も無ければ保険代は無駄になるような気がするが、お金よりも健康でいることそれ自体が本当の意味でお得な状態だと言いたい。

2024/02/21(水)の日記 歯医者にて

 ほぼ半年ぶりに歯医者に行きました。本当は去年の10月頃には検診に行かなくてはいけなかったんですが、ちょっとサボってました。しかしさすがにそろそろ行かなくてはならないだろうと思って去年の内に今年の1月中旬に予約を取っていたんですよ。でも大動脈解離と腸閉塞で入院していたからそれはキャンセルしたのでした。

 退院後に改めて予約をして本日ようやく歯医者に行ってきたということです。家からは歩いて5分程度のところなので行くこと自体は簡単なのですが、いつも歯の磨き方で叱られるのでちょっと行きづらい雰囲気を感じていたんですよね。だから次回の予約を入れるのがいつも遅くなっていたということです。

 さて歯医者ではまだ健康保険証の任意継続の手続きをしている最中で本日は健康保険証が無いことを伝えると、『では本日は一旦10割の支払いをしてもらいます』という返事にOKの意を伝えました。

 そして半年ぶりと久しぶりなので改めて現状を伝える為の問診票を書いたのですが、【現在治療中の病気は?】という項目にはB型大動脈解離と腸閉塞の件を記入して提出しました。しばらくして呼ばれるとまずは若い歯科助手(?)の女性が問診票を読んで『大変でしたね。治療中は椅子を倒して平らにしますが大丈夫ですか?』と心配してくれました。

 まあ、体が横になっただけで不調になるならそもそも横になって寝ることが出来ませんから当然に大丈夫なんですけどね。しかし過剰なまでに心配してくれる様子に、『やっぱり大動脈解離というのは生きるか死ぬかという病気だったんだな』と改めて自覚されます。

 本日は定期健診ということで口の中の上下を2回に分けて掃除をしていくわけですが、『どちらからしますか』という問いに『上から』と答えました。なぜなら左の上の奥歯がぐらぐらしていたからです。

 そして歯の汚れを視覚化する為に色を付け、その染色された様子を鏡で見せてくれたのですが、歯の表面や裏面自体はよく磨けているということでしたが、歯と歯が接している部分、カーブしている部分が紫色に染まっていて、この部分がうまく磨けていないということでした。

 そこで持参した歯ブラシを使って磨き方のレクチャーを受け練習したのですが、歯ブラシを縦に持ち、歯と歯が並んで接している部分が曲がっている部分にきちんと当てて磨くやり方を教えてもらいました。

 たぶん今までは仕事をしていてなかなか歯磨きに時間を取ることをしなかったのですが、今となっては無職で時間はあるので、歯医者の指導通りにしっかり磨けることでしょう。

 ……磨けるといいな。

2024年1月を振り返って大動脈解離と腸閉塞その11

  1月3日の夜に大動脈解離と腸閉塞を発症し、5日に入院、8日に転院を経て30日に退院となったわけだが、その間、今後の仕事をどうするかでかなり悩むことになった。

 腸閉塞については大動脈解離により腸への血流が悪くなったことにより発症した合併症のようなものなので、これについては消化の良いものを食べるようにしたりするしかないのだが、問題は大動脈解離のほうだ。

 大動脈解離で入院し、そして退院したからといって、大動脈解離が治ったわけでは無い。単に急性期を脱して比較的安定した状態(慢性期)になったということに過ぎない。慢性期になったといっても解離した大動脈がもろく弱くなっているのにはかわりが無いし、そもそも大動脈解離を起こすような血管は血管年齢が高く老化していて動脈硬化の状態になっていることが多いわけで、注意を要する状態であることは間違いない。

 ではどういう注意が必要かというと、まずは血圧コントロールである。常識で考えれば分かるように血圧が高いということは血管の内側から外側に対して圧力が多くかかっているということだから、当然に血管が裂けやすくなる。

 その他にも暴飲暴食をしないとか、禁煙するとか、便秘に注意(息まない)とか、入浴の際には熱すぎる湯には入らないとか、急激な温度変化を避けることとか、十分な休養と睡眠をとりストレスを避けイライラしないこととか、軽い運動(有酸素運動)はOKだが筋トレのような力が入るような運動は避けることとか、あとは禁煙とか禁酒とかがある。

 入院前は介護施設においてショートステイの職員として働いていたのだが、夜勤もあるのでどうしても睡眠リズムが乱れるし生活のリズムも乱れるので夜食が欲しくなったりして結果暴飲暴食につながる。入浴介助もすると何度も急激な温度変化にさらされる。移乗の介助をしようと思えば力がどうしても入る。認知症の利用者様の相手をしているとどうしてもストレスを感じたりイライラすることもある。……上記の注意点を守って介護の仕事するの無理じゃないのかな?

 入院中の最初の頃は退院したら職場に復帰しようと思っていたのだが、さすがに今まで通りの仕事内容での復帰は無理があると判断しました。そこで夜勤は無し、一日8時間の勤務ではなく一日5時間の勤務で11時~16時までの勤務ではどうかと考えました。家族にそう話したら、妻にも息子にも反対され、仕事を辞めることにしました。

 介護施設のショートステイの看護師さんにも病状を説明したら、『職場への復帰は難しい』と言われたことも関係しています。

 というわけで退院直後の1月31日に退職するつもりで施設の責任者にその旨を伝える為に出社したのですが、有給休暇が残っているということで入院中も有給休暇を使っていたということにしても更にまだ残っているからと、2月11日に退職するということになりました。

 そうです。今日、2月21日現在は無職というわけです。

 私の場合は去年が定年の歳で、先日までは再雇用で働いていたという年齢でしたから退職するのにも抵抗はまだ少なかったですが、まだまだ働かないといけない年齢の方がこの病気になったらものすごく大変だと思います。

 あと、禁酒はもちろんですが炭酸飲料もダメらしい。腸閉塞だったから炭酸がダメなのか、血管の健康を保つために炭酸飲料の砂糖がダメなのか。それは分からないけど飲むのを止めました。

 まあ仕事を辞めるよりは、まだ気楽に止められますけどね。お酒も炭酸飲料も。

2024/02/20(火)の日記 紙芝居ボランティア

  大動脈解離と腸閉塞で入院し一応退院したものの今まで通りに働くことは無理ということで、それまで勤めていた介護施設(ショートステイ)は2月11日付で退職することにした。そのあたりの事情はまた別な日に詳しく書くとして、本日は日記を書きます。

 もう仕事は辞めたけど前はレクリエーションとして紙芝居を時々やっていたので、『これからもボランティアとして紙芝居やりに来てよ』という職員とか責任者の声を受けて、今日は古巣に戻って紙芝居をしてきました。

 演目は、『けちくらべ』、『三年ねたろう』、『てんぐのかくれみの』の3本です。

 
 いつもは最寄りの図書館で借りるのですが、今回は通院した病院の帰り道に有った図書館で借りてきました。いつもの図書館とは微妙に品ぞろえが違うのはいいですね。

 仕事の時は利用者さんを集めたりとかいうこともしなくてはいけませんが、今回はボランティアということなのでそのあたりはみんな現在の職員さんに任せてしまいました。私は紙芝居をするセッティングだけして、ある程度利用者さんが集まったら演じるだけです。

 久しぶりなので声が出るかな? と心配していましたけど、思っていたよりもちゃんと声が出ていて安心しました。ただ認知症の利用者さんばかりなので、反応が薄いのがちょっと残念ですが、ニコニコと聞いてくれる人もいらっしゃったので良かったです。

 また私としてもずっと家族とだけ一緒にいて、他者との交流が無いのも徐々に精神にダメージを受けそうなので、こういったボランティアも続けたいですね。

 一応ショートステイの2階と3階の二つのフロアでそれぞれ紙芝居を演じる予定でしたが、昨日から2階に扱いに注意を要する大変な利用者さんが緊急で入って来ていてちょっと紙芝居をする状況には無いということでしたので今日は3階でのみ紙芝居をして、2階は来週ということで帰ってきました。

 なんでもその大変な利用者さんは数日内に入院する予定らしいので、その後なら2階で紙芝居をするのに問題が無くなるそうなのです。

 というわけで施設には毎週火曜日に紙芝居のボランティアに行くことにしましたが、2階と3階は週ごとに交互に行うことにしました。自分自身としても週に一度の気晴らしという意味合いでやっていきたいと思った次第です。


2024年1月を振り返って大動脈解離と腸閉塞その10

  結局、1月21日に一口ずつしか食べていけないところを半分量も食べてしまったので弱った胃腸が対応しきれずに全部嘔吐してしまったので、その後また絶飲食が続き、食事が再開されたのは1月24日の昼からになってしまいました。その24日の昼食の内容は次のようになっていました。

 そして今回は間違いが無いように次のようなメモが入っていました。


 ちゃんと『※1口だけ食べて下さい』と書いてあります。というわけで食器のフタに1口分だけ分けて載せてみました。

 とりあえずここから食事が再開したわけですが、徐々に食べられる量を増やしていきました。1口ずつを2口ずつにしていき、やがて3分の1まで食べられるようになり、それが2分の1になり、そして最終的に1月30日に退院することになったのですが、その日の朝の食事は全部食べられました。


 全部食べられたのはいいのですが相変わらず易消化メニューです。そして担当医の先生も、しばらくは自宅でも同じようなメニューにて食事を摂ってくださいとのことでした。実際にこの記事を書いているのは2月20日なのですが、今日にいたるまで基本はお粥と柔らかい副食ばかりで量も以前に比べれば少なめです。70kg有った体重も63kgに落ちましたが、担当医の先生は50kgまで落としなさいというのですから大変です。

 なお体重は退院時と現在を比べると増えてもいないけど減ってもいないという状況です。

2024年1月を振り返って大動脈解離と腸閉塞その9

  1月21日の昼食を半分食べてしまった後、お腹がいっぱいになったのだが、夕食時になっても全然お腹が空いてこない。何かおかしいなとは思いつつ、しばらく絶飲食した後だからこんなものなのかなと無理やり自分を納得させていた。そして夕食がやってきた。


 昼に続いてお粥、なおかつまた柔らかめの副食でした。食札を見ると易消化と書いてある。見た感じおいしそうなのだが、全くお腹が空いてない。しかし食べないと胃腸も動いていかないだろうと思ってお粥を一口食べようとしたのだが、ほぼ入って行かない。

 結局何とか入ったのはリンゴ味の栄養補助ジュースとゼリーだけでした。

 しかし大変なのはここからでした。どうにも気持ち悪いのです。はっきり言えば吐きたい気持ち。そして結局ベッドに前から置いてあったガーグルベース(うがい受け)に少し嘔吐してしまいました。そこでナースコールを押して看護師さんを呼んで嘔吐したことを報告すると、さらに嘔吐するかもしれないということで洗面器を持って来てくれました。

 看護師さんのその判断は正しくてその後は昼と夕方に食べたり飲んだりしたものをすっかり全部吐いてしまいました。胃の中が空っぽになりすっきりしました。

 その後、担当医の先生がやってきて事情を説明すると、『食事は一口分だけで用意はできないから全部出てただけなので、出てきた食事の中から御飯を一口、副食を一口食べるようにして欲しかった』というのです。なんたること。そういうことなら最初からそう言って欲しかったのに。

 結局また胃腸を休ませる為にまた絶飲食となり、食事の更なる再開は3日後の1月24日の昼食からということになったのでした。

2024年1月を振り返って大動脈解離と腸閉塞その8

  さて食事の再開は1月21日の昼からということになりましたが、その数日前から胃薬関係の点滴が外され代わりに大建中湯という漢方薬が朝昼夕の一日三回ということで処方されていました。この漢方薬を飲む際の水はOKということで、服用していました。

 この漢方薬が本当に久しぶりに口にするものでしたから『漢方薬がおいしいです』と看護師さんに伝えたら、『漢方薬がおいしいという感想は初めて聞きました』という反応でした。しかし本当においしかったのですからしょうがないですね。

 というわけで21日に再開される食事をかなり楽しみにしていたのですが、同時にかなり不安にも思っていました。実は担当医の先生からは、『最初から普通の食事を出しますので、御飯もおかずも一口ずつにして、御飯は50回くらい噛むつもりで食べて下さい』と聞いていたからです。

 確かに相当の期間絶飲食でしたから素人が考えても胃が働いていない状態ですから、一気に食べたら胃がびっくりして逆に体調を崩してしまうことは間違いありません。ですから『21日の昼に出てくる食事は御飯もおかずも一口ずつの少量で出てくるんだろうなあ』と想像していました。

 しかし当日出てきた食事は下記のようなものでした。

 病室に運ばれてきた食事を見て私は『あれ?』と思いました。『普通の量があるけど何で?』と。そこでよく見てみると食札に易消化1500という文字が書いてあるのを見つけました。


 確か担当医の先生は『普通の御飯』と言っていたけど、出てきたのは『易消化』という食事内容。つまり私の現在の胃腸の状態に合わせた消化しやすいメニューが出てきたということかな? だからこれだけの量を食べてもいいのかな? と思ったわけです。しかし万が一のことを考えて病室内の他の人のところに食事を持って来ていた食事の係の人に、『この食事内容は私のもので間違いはないですか?』と確認したわけです。するとその係の人は一旦その場を離れるとどこかに確認に行き、戻ってくると言ったのです。『これで間違いないですよ』と。

 さて、そこまで確認した私は、『なるほど御飯はお粥になっているし副食も柔らかいものばかりだから、これは全部食べていいんだな』と思い、食べれるだけ食べることにしたのです。そして約半分を食べてしまいました。半分でもうお腹いっぱいでした。


 そしてこの後、大変なことになってしまうのでした。

2024年1月を振り返って大動脈解離と腸閉塞その7

  ポータブルトイレとか排便のこととかを前回に書いたので、実際のところはどうだったのかを家族とのやり取りをしたlineの記録を見て確かめてみた。

 大動脈解離が発症して腸閉塞も併発したのは1月3日の夜であることは間違いないのだけど、その日の夜に入院前最後の排便が有ったと記憶している。その後は最初の総合病院に5日に入院し、8日に藤田医科大学病院に転院したが、その後はお腹は張り続けるものの排便どころかガスも出なかった。

 しかし10日にほんの少しずつガスが出るようになって、それが何回か続いた後でほとんど水のような便がオムツの中に出たのが記録してあった。その後は10日のうちにベッドの横にポータブルトイレを入れてもらったので排泄はずっとそこでしていた。

 さらに状況が変わったのが13日の午前中にイレウス管を抜くことが出来たので、ようやくベッドから離れることが出来るようになりました。つまり点滴棒に各種点滴をぶら下げながらトイレまで歩いていくことが出来るようになったということです。

 そこで13日以降はスマホに自分の排泄記録をつけ始めたわけです。暇だから。とりあえず記録の最初の3日間の様子を転記すると下記のようになります。

13日(土)

13時25分 少量尿と少量水便

14時30分 少量尿

15時50分 少量尿 トイレ

17時35分 中量尿 トイレ

19時00分 中量尿

20時23分 中量尿

21時50分 中量尿と少量水便

23時25分 中量尿と少量水便


14日(日)

00時57分 中量尿

03時00分 中量尿

04時35分 中量尿

06時00分 中量尿

07時35分 中量尿と少量軟便 トイレ

09時15分 中量尿 トイレ

10時45分 中量尿 トイレ

12時00分 中量尿 トイレ

13時20分 中量尿 トイレ

14時45分 中量尿 トイレ

15時48分 中量尿 トイレ

16時48分 中量尿と少量軟便 トイレ

18時10分 中量尿

19時05分 中量尿

19時58分 少量尿

21時03分 少量尿

22時23分 中量尿

23時40分 中量尿


15日(月)

02時33分 中量尿

04時15分 中量尿

05時47分 中量尿

06時54分 少量軟便 トイレ

08時45分 中量尿 トイレ

10時45分 中量尿 トイレ

11時40分 少量尿と少量軟便 トイレ

13時25分 中量尿と少量水便 トイレ

14時50分 中量尿と少量軟便 トイレ

15時50分 中量尿 トイレ

16時40分 中量尿 トイレ

18時05分 中量尿と少量軟便 トイレ

19時25分 中量尿と少量軟便 トイレ

20時05分 中量尿 トイレ

20時57分 中量尿

21時50分 中量尿

22時31分 中量尿

23時17分 中量尿


 トイレと但し書きがしていないのはポータブルトイレを使用したということです。非常にトイレ回数が多いですが常に点滴で水分が補給され続けているので短ければ1時間、長くても2時間に一回はトイレもしくはポータブルトイレを使用しているということになります。

 便も一度にまとまって出るのではなくほんの少しです。まあ実際にまだ食事をとることが出来ていませんから栄養補給は点滴だけですから、便も腸の中に残っていたものが排出されるだけという感じなのかなと思っていました。(本当のところは分かりませんが)

 食事が再開されるのはCTやレントゲンの検査を何度かしてその結果を見て21日の昼からということになったのですが、実は食事の再開でもちょっとした事件があったのです。それはまた次回ということで。

2024年1月を振り返って大動脈解離と腸閉塞その6

  腸閉塞にも色々と原因があるようで例えば腸に腫瘍が出来てそれにより腸が物理的に詰まってしまい腸閉塞になるということもあれば、今回の私の場合のように大動脈解離により腸への血流が滞り腸の動きが悪くなり腸閉塞へと至るということもあるということです。虚血性の腸閉塞ということでしょうね。

 まあどちらにせよ私が今回の自分の症状を腸閉塞であると判断したことは間違いではなかったのですが、その原因として大動脈解離が有った可能性を全く考えていなかったというか理解していなかったのは問題でした。もしも腸閉塞と大動脈解離の関係を理解していたなら、今回の症状が出た段階で最初の病院に行った時、『腸閉塞かもしれません』と頑なに主張するのではなく、『もしかして大動脈解離かもしれません』と主張していればもう少し早く治療に入れたのかもしれませんし、『大動脈解離による腸閉塞の可能性もあるかと思います』と言っていれば更に治療が早く行われたかもしれません。

 まあ、医者が素人の患者のことを素直に聞いてくれるとは思えないので、あくまでも可能性ということでしかありませんが。

 さて、とにかく藤田医科大学病院へ転院した私は大動脈解離の治療に加えて腸閉塞の治療も受けることになったのですが、それは鼻からイレウス管というチューブを腸まで届くように挿入してポンプで少しずつ食べた内容物を吸引していくというものです。

 まずは腸が動かず詰まっていて消化出来ていない内容物を取り去って胃腸を休ませて回復を促そうというものです。当然その間は新しく食べたり飲んだりは出来ませんので完全絶飲食です。何も食べられないし水も飲めません。

 大動脈解離にて血管にダメージを受けている状態ですから血圧を下げる薬を飲まなくては行けませんが当然薬を飲む為の水も飲めない訳ですから、血圧を下げる薬も経口ではなく点滴で行われます。

 それ以外にも胃腸を回復させる薬や栄養剤に水分としての生理食塩水等も点滴でおこなわれますし、前述したイレウス管も鼻からポンプまで延びているのでベッドから動けません。しばらくはベッド上で過ごしました。

 排尿は尿瓶を使いました。排便はどうかというとしばらくは腸が動いていないこともあり、便どころかガスも出ませんでした。まあ、その後ベッドの横にポータブルトイレが置かれてそこですることが出来るようになりましたが、最初の数日はベッドから降りることすら出来なかったです。

 なお余談ですが最初の病院では大動脈解離の診断は出ましたが腸閉塞の診断が出なかった状態でしたのですぐに重湯を中心とする食事が出てきて、私もそれを摂取したと書きましたが、それがなければ、つまり『食事を摂ったり水分を飲んだりしていなければ、もう少し早く腸閉塞が治ったのにね』と医者から言われたというのは前の病院には内緒ですね。

2024年1月を振り返って大動脈解離と腸閉塞その5

 1月8日、嘔吐した私を見てようやく最初の病院側が私の症状が大動脈解離だけではなく腸閉塞も併発していることを理解したのですが、その総合病院の医者は次のように言ったのです。『ここでは腸閉塞に関する手術は出来ないので、もっと大きな病院に移ってもらいます。候補は中京病院か藤田医科大学病院です』と。

 腸閉塞に関して手術と言えば、私が知る限りでは閉塞した部分に筒型をした形状記憶合金の筒(ステント)を入れて腸を広げて閉塞を治療するというものでしたが、医者の言うことをよく聞いてみると『腸が壊死していたらその部分を切り取らないといけない』とか、『腸を切り取ったら最悪の場合栄養を吸収できなくなるから点滴で栄養を補給し続けなければいけないので病院から出れなくなる』というようなことを言っているわけです。

 さあ、それは困ったことになったな。という思いはありましたが、ようやく腸閉塞という症状を医者が認めてくれて本当の治療が始まるということで、どこか安心感もあったのは事実です。

 しかし中京病院と藤田医科大学病院ではどちらかと言えば自宅からの交通機関が便利なのは中京病院なので、そっちに転院のほうが良いなと思っていたら、転院先は藤田医科大学病院になりました。まあ両者を比べると藤田医科大学病院のほうが大きいので当たり前と言えば当たり前の結果です。とはいえそこまで大きな病院に転院しなくてはいけない状況なんだということをようやく自覚してきました。ヤバイなこれはと。

 今まで介護の仕事をしてきて利用者さんを救急車で病院に送る付き添いとしてだとか、家族が救急車で病院に運ばれる時の付き添いとしては救急車に乗車したことはありましたが、自分自身が病人として救急車で運ばれるのは初めての経験です。思ったのは『想像よりも乗り心地が悪いな』とか、『天井付近についた窓からは空とか建物の上のほうしか見えないから現在地が分かりにくいな』とかどうでもいいことばかりでした。

 そして藤田医科大学病院に着いたら元の病院からのCT検査のデータとかを確認した先生により『大動脈解離の部分が横隔膜よりも下だったからまだ良かったけど、もう少しで死ぬところだった』とか『大動脈解離の部分から分岐した血管が腸へと繋がっているけど、その部分の血流が悪くなっているから腸閉塞になっている』と聞きました。

 ここで初めて大動脈解離と腸閉塞の関係が理解できたのです。

2024年1月を振り返って大動脈解離と腸閉塞その4

  さて大動脈解離の診断を受けて入院することになりましたが、翌日でしたか翌々日でしたかもう記憶に残っていないのですが、食事が出てきました。数日食べれていないという状況だったからなのか、『腸閉塞ではないのですか?』と私が何度か質問したからなのか分かりませんが、出てきた食事は重湯と具の無いスープやパックの飲み物だけでした。

 胃の中にはまだ数日前に食べたものが未消化で残っている感覚は有りましたし、お腹も張っていてお腹が空いているわけではありませんでしたが、喉が渇いている感覚は有りましたので、出された食事を、ストローで飲みました。そうです。食事というよりも飲み物として摂取したのでした。

 その次も似たような食事内容でしたが重湯がお粥になり、さらにその次の食事はなぜか既にもう普通の食事でした。お粥ですらなく普通に炊いたご飯だったのです。副食も普通のものでした。しかしさすがにそれは胃が受け付けませんでしたので、水分だけ摂り、『食事は食べられない』と看護師に伝えたのでした。

 その後も胃の中が消化される様子はなく、なんとなく胃の中のものが喉の辺りまでやってきているような様子を感じて、『おかいしなあ』と思っていたら、1月8日の夜に急に吐き気が込み上げてきて嘔吐してしまいました。念のためにベッドに置かれていたガーグルベース(うがい受け)に吐いた吐しゃ物を見ると茶色の液体でした。そしてそれを見た看護師が慌てた様子で叫んだのが次のような言葉でした。

『便汁が逆流してる!』

 それを聞いた私が最初に思ったのが、『おいおい患者を不安にさせるような言葉を大声で叫ぶなよ』という冷静な感想でした。しかしこれにより私が腸閉塞も併発しているということが明らかになりました。今までさんざん『腸閉塞ではないですか?』と聞いてきたのですが、ここにきてようやくその言葉を信じてもらえる状況になったわけです。

 さてこれで腸閉塞の治療も始まるのかな? と思ったのですが、そう簡単にはいきませんでした。なぜなら私は入院していた総合病院から別な病院へと転院することになったからです。

2024年1月を振り返って大動脈解離と腸閉塞その3

『え、入院? そういうことは一般内科を受診した昼間の時に言ってよ』それが医者の言葉を聞いた時に思った感想でした。というのも理由があります。実は1月5日の午前中に一般内科を受診した際に私は入院を覚悟していたので入院用の用意を大き目の鞄に詰めて持参していたのでした。しかしその時の受診結果は痛み止めと整腸剤で様子を見るという結果だったので、その入院の用意の諸々を仕舞い直し、夜の救急外来の受診の時には持って来ていなかったのです。

 ともかく一番に思ったのはそういう感想でしたが、その後は『ああ、ようやくまともな診断が出た。でも大動脈解離って結構やばくない? というか腸閉塞は関係なかったのか……。おかしいなあ自分で調べた限りでは腸閉塞の症状に当てはまり過ぎていたんだけどなあ』という感じでした。というか苦しすぎて色々と考えるのが面倒という状態だったわけです。

 そこから何か個室の処置室のようなところに運ばれ、何か所か針が刺されて点滴が行われたのでした。そしてさらに医者から言われたのが、『大動脈解離の部分が心臓や頭のほうに血流が行く部分だったら緊急で手術が必要ですが、幸いにも解離の部分が横隔膜より下の部分でしたから、とりあえず手術はせずに薬で治療していくことになります』ということでした。

 しかし家族には、けっこう危なかったこと。一歩間違えれば命を落としていただろうことが説明されていたそうです。私もある程度元気になってからスマホでネット検索して調べてみたところ、悪いことばかりが書いてあり、確かに命が危なかったと理解しました。しかしこの段階では、なぜ腸閉塞と同じような症状が現れているのかについての説明はありませんでした。

 もちろん医者には『これこれこういう症状なんですけど、腸閉塞ではないのですか?』と何度目かの質問をしましたが、聴診器で腸の音を聴いた医者や看護師の回答は、『腸は動いているようですから腸閉塞では無いですよ』というものでした。

 実はその判断が間違いで、実は腸閉塞も併発していたと分かったのはその数日後のことでした。

2024年1月を振り返って大動脈解離と腸閉塞その2

  1月5日の朝になっても腹痛が治っていなかったし、胃の中のものが全く消化されずに残っている感覚があり、また腹にガスが溜まって張っている様子もあり苦しかったので、昨日救急外来の医者に言われたように一般内科を受診することにした。ネットで当日予約を取り、病院に行く。

 そこでまたCT検査をして診断を受けたが、『腸が動いていますから腸閉塞では無いですね。痛み止めと整腸剤を出しておきます』ということで、救急外来を受診した結果と同じでした。しかし一応は内科の専門医もそういう判断をしたということだったので、私としては何か違うとは思いつつも、その診断結果を受け入れるしかなかった。

 ところがその日の夜、布団に横になり体を休めつつ、ガスでお腹が張って苦しいので少しでも楽になりたくておならを出そうと少し腹に力を入れてきばったとたん、背中を激痛が襲ったのでした。冷や汗も出て来るしこれはもう絶対に危ない状況だと思ったので、仕事から帰ってきていた息子が運転する車に乗せてもらい、また総合病院の救急外来へ行ったのでした。

 さすがに二日間で3度めの受診であり、前回までには無かった背中の痛みや冷や汗という新たな状況ということもあり、3度めのCT検査は造影剤を使ってのCT検査をするということになった。造影剤を注射されると体が瞬間的に熱くなるのだが、そんな感覚を面白がる余裕もなくCT検査を終えてしばらくすると医者がキャスター付きのベッドに寝ている私の元になんだか真剣な顔をしてやってきた。そして言ったのだ。

『大動脈解離でした。このまま入院してもらいます』と。

2024年1月を振り返って大動脈解離と腸閉塞その1

  2024年1月は、1日が北陸の地震の発生日ということもあり大変な始まりとなったのだが、個人的にも大変な月となってしまった。1月3日の夜、普通に入浴しようとして湯舟に入ったとたん、急な腹痛に見舞われてしまったのだ。

 その時は湯舟に入った瞬間に腹痛に見舞われたという関連性に気づかず、単純にたまたまその時に腹痛が始まったとしか思わなかったのだ。だから私は腹痛を治すには温めれば良いと思い、そのまま湯に浸かったまましばらく痛みに耐えていたのだが、腹痛は全くおさまらなかった。

 しょうがないので風呂から出て手持ちの鎮痛剤を服用してみたのだが、腹痛は治まらない。とりあえず我慢できないほどでは無いのでそのまま寝ることにした。翌日には痛みが退くことを期待して。

 しかし翌日の1月4日も痛みが続いていたし、痛み以外にもお腹の様子がおかしい。具体的に言うと全くお腹が空かないのだ。昨日の夜に食べた夕食が全く消化された様子が無く、まだ胃の中に滞留しているような感じだったのだ。というわけでネットで色々と調べてみると、どうも腸閉塞の症状に当てはまり過ぎていたので、行きつけの総合病院の救急外来に受診することにした。

 受診して状況を説明し腸閉塞ではないかと主張してみた結果CT検査を受けたのだが、その結果は『腸は動いているようですから、腸閉塞では無いですね。痛み止めと整腸剤を出しておきます。もしも明日になっても調子が悪いようでしたら、明日は一般内科を受診してみて下さい』と言われて、その日の受診は終わったのでした。

 そして医者に言われた通りに処方された痛み止めと整腸剤を服薬しつつ1月4日を終わったのでした。

2025/08/07(木)の日記 夏祭りの打ち上げ

  施設のショートステイで夏祭りを企画して実施しましたが、その関係で準備に携わったメンバーの職員が打ち上げをしました。  中華料理屋で行ったのですが、体調の関係上、アルコールは飲めないので、ノンアルコールのビールを頼みました。  入院中や、退院後もしばらくは炭酸飲料も控えるように...