2024/04/30(火)の日記 面接と交通違反

 午前中、前職のいわゆる本社がある場所まで面接に行ってきました。やはり色々と聞かれたのは今の体調です。大動脈解離に上腸間膜動脈解離という病気を抱えて仕事は大丈夫かということです。

 まあ大丈夫かと聞かれて確実に大丈夫と断言できるわけでもないので、血圧をコントールしなくてはいけないのでと答え、重いものは持てないので完全に立てない人を抱えることは出来ないが、掴まり立ちができる人を介助することならできると返答しました。

 また同じく血圧コントロールが目的で寒暖差のあるところに出入りするのは良くないのでということで入浴介助も出来ないと説明しました。

 そして血圧を下げる薬を飲んでいるので、ふらつくこともあるかもしれず、そういうときに(送迎の)運転をしていたらすぐに停まって休まなければならないとも言いました。

 結局、そういったことは他の職員に自分で説明して理解を求めて下さいということを言われました。まあ確かに上から『○○さんにはこういう事情があるからよろしく』と言われたら、『上の人は○○さんだけをひいきしている』と言い出す人もいるかもしれないから、そこは納得しました。

 それから今後、藤田医科大学病院を受診したら、現状の仕事内容を説明しここまでは良いのかそれともダメなのかをよく聞いて、それを逐次職場の責任者に報告してくださいということでした。

 それを了承し、健康診断も受けてきたのですが、去年の10月から比べて体重が11㎏落ちていて、『要確認』と書かれていました。さすがに理由もなくこれだけ体重が減っていれば何らかの病気を疑いますからね。まあ、病気だったんですけど。

 さて、その後、面接も健康診断も終了したので、そこから比較的近い場所にあるイオンに行ったのですが、地上の駐車場が満車で地下駐車場に降りたのですがそこも満車だったので一旦外に出て今度は屋上駐車場に入ろうとぐるりと回って駐車場入り口を目指したところで、下記の場所を通過しました。(写真はgoogleストリートビューより)


 この角を曲がった瞬間。警察官(婦警さん)に呼び止められて道路の端に誘導されました。

『今、一時停止の場所で速度は落としてゆっくり走っていましたけど、完全には停止されませんでしたよね♡』

 はい、そうです。一時停止違反で反則切符を切られてしまいました。罰金7,000円でした。ううう、不覚。

2024/04/29(月)の日記 冷凍庫の引き取りと紙芝居

  今朝は以前から手配をしていた小型の業務用冷凍庫の引き取りがあったのですが、やってきたトラックがかなり大型のものでびっくりしました。最低でも10tトラック以上の大きさに見えました。

 軽トラックでも大丈夫なサイズの冷凍庫だったんですけど……。まあ、いいか。大は小を兼ねるとも言うし。ちゃんとサイズを連絡したのは確かなのですが、うまく伝わってなかったのかな。それとも回収用のトラックはやはり業務用の産業廃棄物を回収する為のものだから大きいサイズしかなかったのかな?

 さて、それはそれとして今日も前職の介護施設に紙芝居のボランティアをしに行きました。




 三か所のユニットでそれぞれ紙芝居を三種、延べで9回も紙芝居を演じてきました。昔なら2回~3回で喉を傷めて枯らしていたのですが、今はまあ何とか8回~9回でも大丈夫になりました。無理な声の出し方をしないように気をつけているからですね。

 受けはそこそこ良かったし、途中で利用者さんに面会に来た人(家族らしかった)も少し聞いていたし、まあ良かったかな。

 しかし良く聞いている利用者さんもいるけど、中には聞きながら寝ている方もいるんですが、なぜかそれぞれの紙芝居を読み終わると拍手だけはしてくれたりするんですよね。

 もしかして目をつぶっているだけで聞いてはくれていたのでしょうか。まあ歳をとれば目も見えなくなってくるのでそういうことかもしれませんね。

 さて、明日は前職の職場に復帰をするための面接の日です。現場の方々の話を聞く限りでは全員、私の復帰を歓迎してくれているようですが、人事の人たちの判断はどうなるんでしょうね。

2024/04/28(日)の日記 回転寿司に行ってきました

  今日は昼ごはんとして回転寿司に行ってきました。はま寿司です。

TOP|はま寿司|回転寿司 (hama-sushi.co.jp)

 例によって最近の回転寿司は回っていないんですよね。衛生問題とかいろいろありますので。そろそろ回転寿司と言わないほうが良いのかもしれません。

 回転寿司ができる前の従来のいわゆる高級な寿司屋のことを『回らない寿司屋』とか表現することもありますが、最近ではその回転寿司が回らなくなってきたので言葉の上での区別が難しくなってきましたね。

 高級寿司と庶民寿司とでも表現するべきでしょうか? なんとなく定着しそうではありませんね。誰かもっとピッタリとくるような命名をしてもらえないものですかね? 

 さて話を戻しますが今年の1月頭に大動脈と上腸間膜動脈の解離がありそれにより腸閉塞(イレウス)を併発してからはだいたいお粥をたべており、たまにうどんやパンも食べますがそれは本当にたまにです。

 というわけでお粥ではない普通のごはんはまず食べないのですが例外としてこういった回転寿司は例外です。

 しかしいつもかなり水っぽい感じのお粥を少量食べるだけなのでそのせいでそれなりに胃が縮みました。というわけで以前の半分ほどしか食べられなくなってきました。

 今回食べたのは以下の写真の通りです。(写真は、はま寿司のメニューからスクリーンショットしたものです)

メニュー紹介 | はま寿司 (hama-sushi.co.jp)




 寿司が4皿でプラスしてデザートが1つで終了です。以前なら寿司が9皿くらいでデザートが1つという感じでしたが、現在はこういう状態です。ただ、胃袋が小さくなっているとは言っても短期的に腹が膨れるだけで、すぐに消化されているみたいで数時間もすると空腹になります。

 夕食まで待てないのでスキムミルクときなこを混ぜた飲み物を飲んで空腹を紛らわしているわけです。

 腸閉塞(イレウス)はもう治っているので何を食べても良いのですが、血圧コントロールの為にまだ減量しないといけないのでお粥生活はまだ続けています。しかしなかなか体重は減りませんね。減っては増えて、増えては減っての繰り返しです。

 しかし体重減らして血圧を低くキープしないとまた別なところの動脈が解離したりする可能性もあるので頑張らないといけませんね。それから適度な運動も医者からは推奨されていますけど、むしろそちらのほうが難しいですね。

2024/04/27(土)の日記 修理車両の受け渡し

  昨日連絡があった修理が完了した車を受け取りに行きました。途中でガソリンを入れたのですが、1,301円でした。約8リットル です。レシートは代車に入れたままにしてきてしまったので正確な量は分かりませんが、確か7.9リットルぐらいでした。

 しかしいつもこういった代車やレンタカーを利用した時にはいつも思うのですが、ちゃんと皆さんガソリンを満タンにした状態で車を返却しているのでしょうか? ガソリンメーターは厳密に満タンにしなくても満タン表示になるわけですから、ちょっとだけ少なくガソリンをいれた状態で返すことも可能です。

 ……たぶん、まあ、ちゃんと皆さん真面目にガソリンは満タンにして返しているのでしょう。疑っちゃダメですよね?

 さて、そして代車をディーラーに返却して修理費用の精算をしました。修理代は24万1,406円でしたが保険を使ったので今回は免責分の5万円です。

『もうぶつけちゃダメだよ』と精算時に妻が言いました。そして帰宅後には『次にぶつけたらこづかい無しだからね』とくぎを刺されました。

 はい、気をつけます。妻は私よりも5歳年下ですが、こういう場面では逆らえません。返事の選択肢は『はい』もしくは『yes』です。まあ、言葉は優しい感じでしたけどね。男は女の尻にしかれているくらいがちょうどいいのです。

 今後は十分に気をつけたいと思います。

2024/04/26(金)の日記 車の修理完了と廃冷凍庫回収についての電話ありました

  問い合わせの連絡をして数日しているのだがなかなか連絡が無かったので今朝また産業廃棄物を回収してくれる業者に電話してみた。すると担当の人が、『回収の日程は決まってますけど連絡ありませんでしたか?』と言うではないですか。なんと連絡ミスっぽい。

 そして『日程を確認してまた連絡します』と言うのでしばらく電話が来るのを待っていたのだが全然電話がかかってこない。しょうがないので自宅の電話を留守電にして出かけることにした。最悪、私のスマホの電話番号も教えてあるので何とかなるだろうということで。

 買い物等の用事を済ませて帰宅したのですが留守電には何も反応は無かったです。やっぱりねと思いながら昼食を摂り、さらにしばらく時間が経ちましたが電話はかかってきません。うーん、もう明日まで待って何も電話が無ければまた明日電話して問い合わせようと思ってちょっと昼寝をしたら、電話がかかってきました。

 そして4月29日(月)の午前8~9時に回収しに来てくれるということになりました。回収費用は3万円に消費税で計3万3千円でした。やれやれです。

 さて、そうこうしているうちにまた電話が鳴りました。先ほどは家の固定電話でしたが今度は私のスマホにです。車の修理ができたという連絡でした。いつでも受け渡しが可能ということでしたので明日4月27日(土)の午前10時に取りに行くことにしました。

 というわけで代車をざっと水洗いして水滴をタオルで拭いてきれいにして明日の準備完了です。あ、ディーラーに持っていく前にガソリンを満タンにしないとね。

2024/04/25(木)の日記 大動脈解離について新事実?

  今日は定期受診の日でした。とはいっても大動脈解離を見てもらっている藤田医科大学病院ではなく、以前から通院していた総合病院です。

 高血圧は藤田医科大学病院のほうで薬を処方してもらっているので、今日受診した総合病院では貧血(大球性貧血)のほうを診てもらっています。しかし以前はそこで高血圧も見てもらっていますので、ついでに高血圧の状況も診てもらってはいます。

 ちなみにこの総合病院が大動脈解離で最初に入院した病院でした。つまりそこの電子カルテにはまず最初に私が大動脈解離だと診断された造影CTの結果が画像として保存されており、それを見ながら医者の先生が言ったことが、私にとって新事実でした。

 どうやら私の大動脈解離の裂けた部分の長さはそこまで長くはなかったらしい。中にはけっこう長く大動脈が裂ける人もいるらしく、そういった人たちと比較するとまだマシな部類ということを聞きました。

 本当かな? という気持ちで聞きましたが、とりあえず良い話の部類でした。

2024/04/24(水)の日記 再就職について

  今日の午前中、妻が買い物をしているドラッグストアの駐車場で車の中に居たとき、前の職場の責任者の人から電話がありました。人事部と面接をする日が決まったということです。面接の日は4月30日(火)の10時でした。なお面接のあとは健康診断も受けてもらうということでした。

 はてさて、その面接は形だけのものなのか、それともガチでの面接なのか? 今まで7年くらい働いてきた経験を考えれば面接は形だけということになるのでしょうが、今年に入ってすぐに発症した大動脈解離に上間膜動脈解離(大動脈から小腸・大腸の半分へと分岐する動脈の解離)のことを考えると、それについてガチの面接が行われるかもしれません。

 しかしガチな面接だとしても、その後の健康診断は形式的なものになりますね。血液検査や血圧、心電図、レントゲン等々の一般的な健康診断では大動脈解離の状態については何も分からないからです。検査するなら最低限でも造影剤(ヨード)を使った造影CT検査をしなければ分かりません。

 そういう意味では形式的な面接かもしれないと思うわけなので、こちらに都合がいいことだけを言って面接に合格するのは簡単かもしれませんが、嘘を言って結果的に肉体的な無理をして命を落としては本末転倒です。

 というわけで面接の場では体調のことについて隠すことなく正直に答えていこうと思っているわけです。前の職場の職員たちとは紙芝居のボランティアをしに行っている時に交流していますが、だいたい私に復帰して欲しいと言ってくれているので、私としても戻りたいのです。

 ただまあ体調のこともあるので、今まで通りフルで復帰するのはさすがに無理なので一日あたり5時間、週に5日間、つまり週に25時間の勤務という長時間パートでの復帰を考えているわけです。

 もしも面接に合格したら最短で5月13日(月)からの勤務となる可能性があると責任者の人が言っていました。さてさてどうなるんでしょうね?

2024/04/23(火)の日記 紙芝居と再就職の話

 今日はまた前の職場の介護施設で紙芝居を演じてきました。今日の紙芝居は次の三種類です。




 『ねずみのすもう』と『ねずみのほりもの』というねずみ繋がりの話がふたつに昔話の『なしとりきょうだい』の三種類です。

 紙芝居が終わったあと、『最近はねずみも見ませんね』とか『家で削るようなかつおぶし』も見なくなりましたね』と話すと、けっこう乗ってくる方もいました。

※『ねずみの彫り物』では主人公のきっちょむさんがかつおぶしでねずみのほりものを作るという展開があります。

 男性の利用者の方は、『紙芝居は懐かしい』と感想を言ってくださったりもしてくれましたが、聞いている間、けっこう目をつむっていたような……。

 さて、それはそれとして、職場に復帰したいということをお願いしていたのですが、本日、責任者の方に『再度雇用することはショートステイの現場主任も希望してくれているので、日を改めてまた人事部のほうで面接を受けて欲しい』と言われました。

 というわけで日にちが決まったら面接に行かなくてはいけないので、紙芝居を終えて帰宅した後は、履歴書を書きました。さて、どうなるんでしょうね。

2024/04/22(月)の日記 加家公園を散歩

  本日は加家(かけ)公園を散歩してきました。今までにも何度か行っていた東海市の大池公園とは道路を挟んで斜向かい側にある細長い公園です。

 地図では右上の場所にある駐車場に停めてそこから左側の端より少し進んだところまで歩いてきました。


 駐車場から離れていったん道路側に出ると歩いて公園に来る人用の入り口が有ります。

 加家公園というのが本当の名前なのですが、門には『メルヘンの森』とあります。公園の内部もちょっとメルヘンっぽい作りになっています。


入り口から入ると『舞』と名前が彫られた像が有りますね。ややメルヘンっぽい?


 駐車場を超えて進むとすぐに山小屋風のメルヘンっぽい(?)建物が有りますが、よく見て見るとトイレのようです。さっそく利用させてもらいましたが、内部はメルヘンっぽいっというよりは、昔話風(?)という感じでした。やや古臭い感じの作りという意味です。


 トイレの裏には池が有りますが、池というよりは大きな水たまりというぐらいの深さ(浅さ)です。池の底は土ではなくコンクリートで固められたように見えましたから完全に人工池ですね。当然に魚とかの生き物の姿も見えませんでした。メルヘン……っぽくは無いですね。


 池からちょっとだけ奥に行くとキノコの形をした東屋があります。これはメルヘンですね。きっと。


 水はほとんど流れていませんでしたが、池のほうへと続く水路というか人工の川(?)があり、時計台が四kにあります。門が開いていますが、動かない扉でしたので閉じることは出来ないみたいです。


 時計の時間は、朝の8時15分ですね。ちなみにこの公園の駐車場が開くのは朝8時からですのでそれよりも前に到着すると駐車場の入り口はチェーンで閉鎖されている可能性が高いです。なお時計のまわりの動物たちは固定されていて動きそうにありません。メルヘンじゃないですね。


 人工の川をまたぐ橋は石づくりっぽくてメルヘンですね。さて、そしてよく見るとあちこちに銅像が有ったりします。





 ウサギにリス、フクロウに馬に乗った少年です。まあ、メルヘンっぽくしようと努力した跡が見られますね。個人的にはウサギの躍動感ある銅像が好きですね。


 ちょっと変わった形のベンチもありましたが横にあった看板を見るとちゃんと用途が有ってこのような形になっているようです。


 背伸ばしベンチというらしいですが、ちょっと注目したいのは右下の利用上の注意の二番目ですね。『息を止めてりきむのは危険です』とありますが、非常に納得しました。私の大動脈解離も息を止めてりきむのは禁止されていますからね。特に高齢者が息を止めてりきむのは止めたほうがいいでしょう。血管が裂けてしまいますよ。


 さらに進むと所々に上の写真のようなものがありました。


 私は知りませんでしたがどうやら『細井平洲』という方を記念するもののようです。



  公園の端の芝生があるところには銅像も立っていました。台座の横には左右にレリーフもありました。



  教育に力を入れた方みたいですね。東海市では有名な方なのでしょうか。


 細井平洲さんの銅像を通り過ぎると公園の先には星城大学が有りました。その先には周辺案内図が有ったのですが、現在地は名鉄常滑線の新日鉄駅から丘陵に上ったところみたいです。


 看板によればこのあたり一帯の丘陵を『如来山』というらしいですが、山というにはちょっと低いです。海抜16~17メートルくらいのはずです。


 星城大学の横を通り過ぎるとまた公園につながりました。


 細井平洲さんの業績などが記されています。先ほどの銅像とは統一感がありませんので作られた時期が違ったりするのでしょう。


 藤棚がありましたが、なんとなくスカスカですね。


 もう少し枝が密に育って欲しいですね。まだ綺麗な状態になるには年数がかかりそうです。やっぱり比較的まだ最近に出来たのでしょう。


 木製の展望台とされているところに上ってみましたが、あまり高くないので見晴らしは悪いです。藤棚を上から見てみましたが、展望台の低さが分かりますね。


 まわりを木々に囲まれているので展望台から見られる景色はこれだけです。果たしてこれは展望台なのでしょうか?せめてもうあと5~6メートルくらい展望台を高くしてほしいものです。

 というわけで今日は加家公園を歩いてきました。


 ただ、展望台からさらに進んでいくと聚楽園公園につながっているらしいのですが、なんだか降りるのが危なそうな階段でしたからここでストップして駐車場のほうへと引き返しました。もう歳ですから安全第一です。

2024/04/21(日)の日記 大系日本の歴史

  昔、なんとなく買い揃えていた『大系日本の歴史』という本があります。但し全15巻なのですが、第14巻までしか揃えていませんでした。最終巻の第15巻は現代史なのですが、どうしても思想的に歪んで書かれているような気がして販売当時は買わなかったのです。

 で、その『大系日本の歴史 第1巻~14巻』までですが、読み込んでいたかというとそうではなく買っただけで満足して完全に積読状態になっていたわけです。しかし何か急に読んでみたくなったので、本をしまっていたベランダのロッカーから出してきました。


  とりあえず第1巻の表紙です。そして次の写真を見てください。


 出版年月日が1987年11月20日となっています。年号に換算すると昭和62年になります。それでなぜ年号が書かれていないのでしょうか? それは当時を生きていた人ならすぐに分かりますが、昭和62年と言えば既に昭和天皇も晩年でありこの年の9月に宮内庁病院にて手術を受けらています。


 当時、大っぴらには誰も言いませんでしたが、昭和天皇がいつお亡くなりになってもおかしくないと思っていた時代でした。というわけで上記の写真に有るように本の出版年月を西暦でしか書かなかったのですね。

 つまりもしも出版年月を年号で書いておいて、昭和天皇がその年月日以前にお亡くなりになってしまっていたら、その段階で新しい年号に変わってしまうので、本に書かれた年号が間違ったものになってしまうからです。

 結果的に昭和という年号は昭和64年1月7日まで続き、翌日の1月8日から平成という年号に変わったわけです。この時期に出版された本は、おそらくこういった配慮をしていたものが多かったのではないかと思います。

【追記】後ほど他の本を見たらほぼ西暦表記のみの本ばかりでした。現在は西暦表記が標準なのかもしれませんね。しかし昭和50年代だとか平成10年代とかの本は年号表記でしたので、出版社やその時の時代によるのでしょうか?

 今から思い出すと昭和天皇が体調を崩されていた時期というのは色々な分野で自粛が行われていたような気がします。いわゆる自粛ムードというやつです。

 今と違って昭和天皇は生前退位というものが認められていなかったので、亡くなるまで天皇という立場を維持しなければなりませんでした。

 と、ここまで考えて、『大系日本の歴史』の第15巻を読んでみたくなりましたので、先ほどAmazonで中古品を注文しました。うーん、30年以上前の本もちゃんとあるんですね。


 思想の歪み具合も、それはそれとして楽しみです。

2024/04/20(土)の日記 大動脈解離について振り返り

  まず1月3日の夜の入浴時に発症し、1月5日の午後に入院することになった大動脈解離についてちょっと振り返りつつ、今の生活をまとめてみようかと思います。

 既に発症から3ヶ月半、退院から数えても2ヶ月半は経っており、それなりに客観的に病気を考えることが出来るようになりました。

 発症および入院中は、『もうダメかな?』と思うことも多かったです。とにかくネットにて大動脈解離について検索すると目立っているのが、生存率というか死亡率にかんしてです。

動脈の壁は内膜、中膜、外膜でできています。動脈解離とは、急激な血圧の上昇などにより、内膜に亀裂が入り中膜部分が裂けていく病気です。大動脈解離は、突然発症し、放置すれば、発症後48時間以内に50%、1週間以内に70%、2週間以内に80%の高率で死亡するといわれる予後の不良な病気です。』

大動脈解離 - 埼玉県立循環器・呼吸器病センター (saitama-pho.jp)

 とか、

『A型急性大動脈解離

 手術をおこなわなかった場合の死亡率は、発症より24時間以内が20%、48時間で30%、1週間で40%、1ヶ月で50%が死亡する。解離の偽腔は将来瘤化する可能性がある。遠位側の偽腔が閉塞する率は、10%以下。

B型急性大動脈解離

 手術をおこなわなかった場合の死亡率は、1ヶ月で10%以下。

B型慢性大動脈解離

 大動脈瘤拡大の因子は、1:動脈径40mm以上、2:偽腔に血流が存在。』

大動脈解離とは? | 大動脈瘤・解離の専門医|川崎大動脈センター 川崎幸病院 (saiwaihp.jp)

 とか、気になるような記述がいっぱいヒットするわけです。というわけで最初の頃は本当に『ちょっとダメかなあ』と思っていたのですが、今は『あれ、意外といけるかも』と思うようになりました。

 そもそも私は緊急性の高いA型の大動脈解離ではなく、B型の大動脈解離です。簡単に言えば弓状の大動脈の上部分ではなく下部分が裂けているわけで必ずしも手術をしないと助からないというわけでは無いと理解してきたからです。

 あくまでも死亡率が高いのはA型大動脈解離のほうで、B型の場合はそれほどでも無いということだからです。

 そしてちょっと裏事情らしきことで、藤田医科大学病院の担当医の先生が、私が搬送された直後に私や私の家族に対して『危ないかもしれない。死亡する可能性がある』というようなことを言っていた理由を、この前(4月4日)の受診の際に話していました。

『他の病院から緊急ということで運び込まれてきたから、もうダメな状態だと思ってた』ということです。

 まあ確かに最初に入院した病院では手に負えなかったということで藤田医科大学病院へと緊急搬送されたわけですが、私の病状をもう少し詳しく振り返ると、下記のようになります。

1.スタンフォードB型大動脈解離

2. 上腸間膜動脈解離(大動脈から小腸と大腸の半分へと繋がる動脈)

3.イレウス(腸閉塞)

 最初に入院した病院では1.スタンフォードB型大動脈解離までは造影CT検査にて把握していたようですが、2.上腸間膜動脈解離まで把握していたかどうかは疑問ですし、3.のイレウス(腸閉塞)に関しては把握していませんでした。

 どうやら最初に入院した病院ではB型大動脈解離についての治療については自信があったようなのですが、大動脈解離から来るイレウス(腸閉塞)に関しての治療については全く自身が無かったようで、『うちでは腸閉塞の治療は無理だから』と言われて藤田医科大学病院へと緊急搬送されて転院したわけです。

 どうも最初に入院した病院では、『腸も動きは弱いけどまだ動いているし、腸に腫瘍等が出来て腸を塞いでいる様子もないから腸閉塞ではない』という診断でした。しかし実際は大動脈解離と同時に大動脈から腸へと分岐する上腸間膜動脈も解離していて、小腸や大腸の左半分への血流が少なくなってしまったことによる虚血性の腸閉塞になっていたのです。

 というわけで最初の病院での入院生活では、腸閉塞であるなら絶飲食しなければならないところ、食事が出てきて私はそれを食べたり飲んだりした結果、腸閉塞をより悪化させてしまい、緊急搬送で転院しなければならなくなったわけです。

 つまり最初の病院で正しく診断がされていたら、緊急搬送されることもなく、最初の病院のままで治療が出来たのかもしれないなと思ったわけです。

 うまく説明できませんが、今から考えるとおそらく私の病状はかなり運が良かった感じ見たいです。つまり最初に想像していたよりも長生きできるかも? というところですね。

 B型の大動脈解離については次のような記述もあります。

『下行大動脈から足までの血管で解離が起こるのをB型解離と言います。 逆にA型解離は上行大動脈に解離が起こるものをいいA型でないのはB型となります。 B型は破裂しにくく、破裂しても出血が心臓を圧迫することがなく、また大事な部位の血流が途切れる危険性も少ないと言われています。』

急性B型大動脈解離|心臓血管外科手術について|心臓血管外科特設サイト|医療法人徳洲会名古屋徳洲会総合病院 (tokushukai.or.jp)

 ただ、長生きする為には医者の言うことを聞いて、ちゃんと節制したり運動したりしないといけませんね。

2024/04/19(金)の日記 滝の水公園を散歩+α

  公園を散歩シリーズの内容を書く前に、昨日の話題の業務用冷凍庫の回収についての続報を書いておきます。今朝、その業務用冷凍庫にどのようなフロンガスが使われているのかを確認し、それを業者に電話しました。

 冷媒名として、HRC-134aとあります。これがフロンガスの種類名ですね。それを伝えてみたところ当初はこちらから持ち込まなくてはいけなかったのですが今月中ということなら業者のほうで回収して処分してもらえるということになりました。

 しかしその金額はだいたいのところで3万円くらいとのことです。3万円までで収まるのかそれとも3万円を超えるくらいなのか、それは分かりませんがもうそれで処分するしかありません。本当に一般家庭から産業廃棄物を処分するというのは難しいというか金がかかります。

 さて業務用冷凍庫の処分に目途が立ちましたので、今日は普段買い物をする場所の近くにある公園に散歩しに出かけました。もちろん散歩後は買い物もするという予定です。出かけた公園は滝の水公園です。


  公園の駐車場はおよそ20台ほどしか停められないほど小さな駐車場なのですが、幸いにも5~6台分の空きがありました。駐車場のすぐ横には公園に上る階段があります。そうです滝の水公園は高台というか小山の上にある公園なのです。そこからの見晴らしは良いそうなので期待しつつ上ります。


 階段の途中、踊り場のようなところにはベンチが有ります。日陰で休むほどの気温ではないのでここはスルーしてさらに上に上ります。


 階段を登り切ったところで後ろを振り返り街の景色を撮りました。地平線というか地面と空の境目の辺りの空が薄っすらと曇っているように見えるのは黄砂の影響でしょうか。本来ならもっと青く澄んでいるはずです。


 小山の頂上にある滝の水公園は円形をしているようで、その円に沿って歩道が整備されています。写真の左端には石や金属で出来たモニュメントのようなものが立っています。もう十何年も前に一度だけここに来たことがありますが、その時の記憶ではこういうモニュメントは無かったような気がするのですが、その記憶が正しいのかどうか自信がありません。


 歩道から街側のほうへ目を移すとタンポポが咲いた向こうの眼下に街が見えます。


 四角い穴が開けられて立たされている岩。石碑ではなくモニュメントと言うしかないような造形です。なお歩道よりもやや上のところに小山の頂上があるようです。


 向こうに黄砂に霞んで見えるのは名古屋駅周辺のビル群です。近いような遠いようなところですね。というかちょっと高いところに上ると名古屋駅周辺のビル群はすぐに見つけられます。つまり名古屋は土地が平たいんですよ。さすがに濃尾平野、関東平野に次いで日本で2番目に大きな平野です。


 公園らしく砂場が見えてきました。


 砂場を通り過ぎた場所には滑り台やブランコもありました。やはり公園と名が付くところにはこういった遊具は必須なのでしょうか?


 ここで歩道から外れて公園の中心部、というか小山の頂上へと歩いて行きました。頂上部分には写真のように円形に石が敷き詰められています。


 円形に石が敷き詰められた頂上から四方を見てみましょう。




 歩道には所々に景色の写真が看板として立てて有り、それによると遠方には山々が見えるということが書いてありましたが、どうやらやっぱり黄砂の影響でそれらの山々は確認できなさそうです。


 切り株があるということは、もしかするとこの頂上には現在よりももう少し多くの木々が生えていたのかもしれませんね。しかし高台というか小山の上にあるので遮るものが無いこの公園は風が強いです。街中とはえらい違いです。こういう風が強い場所では倒れそうな木々は伐採するしかないのでしょう。けっしてビッ〇モー〇ーの仕業ではありません。


 こんな看板もありました。どうやらこの公園のすぐ南の場所は名古屋市立大学薬学部創設の地らしいです。

 さて、というわけでこの公園の歩道を2周歩いてきました。本当はもっと歩いたほうが良かったのですが、けっこう強い風もあったし、買い物を予定していた店の開店時間も過ぎていたので早めに散歩を切り上げてきました。

 個人的には池とか川とかあるような公園が好みですね。さて、次はどの公園を歩きましょうか。まあ、同じ公園を何度歩いても良いんですけどね。

2025/08/07(木)の日記 夏祭りの打ち上げ

  施設のショートステイで夏祭りを企画して実施しましたが、その関係で準備に携わったメンバーの職員が打ち上げをしました。  中華料理屋で行ったのですが、体調の関係上、アルコールは飲めないので、ノンアルコールのビールを頼みました。  入院中や、退院後もしばらくは炭酸飲料も控えるように...