備蓄米が米価高騰を解決する手段として放出されているけど、小泉農林水産大臣を始めとして政府のお偉方は、備蓄米の本来の意義を忘れていないか? と、心配になる。
前にも書いたが、備蓄米は本当に米が物理的に足りなくなった時、つまりは水害や猛暑、あるいは地震、まあそういった災害時に使うべきものじゃないのだろうか?
災害は忘れた頃にやってくるとよく言うが、今、価格高騰に対して備蓄米を使っているという状況は、災害は来ないものとして忘れている状況なのじゃないだろうか?
なんとなくの予感なのだが、まったく根拠というものは無いのだが、備蓄米が底をついた時、大きな災害が日本を襲うような気がしてならない。
備えあれば憂いなしというが、備蓄米という備えを消費し尽くした時、憂いばかりが残ったということにならなければ良いんですけどね。
小泉農林水産大臣の父親である小泉純一郎元首相は、今からみたら大変なことばかりやってしまった首相だけど、運だけは良かったからなあ。
非難されるようなことをしても、なぜか支持されていたなあ。
小泉進次郎は父親並の運があるかな? どうもあの顔、あの表情には運が無いような気がするんだけど。
能力とかも大事かもしれんが、リーダーには運も必要ですよね。
0 件のコメント:
コメントを投稿