フジテレビの例の中居 正広の問題がらみなんだろうけど、今、NHKのニュースでセクハラに関する話題をやっている。
この問題の難しいところは、『セクハラには定義が無い』ということだと思う。2018年に当時の麻生財務相は、『セクハラ罪という罪は無い』と発言しましたが、まさにその通りなんですよね。
別にセクハラ罪というものは無いんだからセクハラ仕放題だね。ということを言いたいのではありません。セクハラというものは非常に定義が難しくて、法律で規制してなんとかなる性質のものでは無いということなんですね。
普通に罪として法律で定義されているものは、基本的に行動を罰するものなんです。
例えば殺人は殺人という行為に対して殺人罪という法律で罪として定義しています。あくまでも罪として認定されるのは殺人をしたという行為にたいしてであり、誰かを心の中で空想上の殺人を犯してもそれは罪にはなりません。あくまでも殺人罪はそれを行った行為に対して認定されるからです。
だから殺人をしようと思って行為に及んでも、殺しきれなかったら殺人罪ではなく殺人未遂罪です。殺人罪は殺人をしたという行為に対して課せられるものだからです。
暴行も、窃盗も、詐欺も、それを行ったら罪ですが、心の中で思うだけでは罪になりません。思想は自由です。
そしてセクハラって、その行為をセクハラと認定する基準が難しすぎるんです。
例えば、男女の場合ですけど、『相手がセクハラだと思ったら何だってセクハラ』という部分があります。
最近、話題にもなりましたが、AEDを使用して蘇生する人は男性のほうの割合が多くて、女性のほうの割合が少ないそうです。胸を開いてAEDのパッドを貼り付けないといけないし、金属が体についているといけないので金属部品がついているブラジャーを外さないといけないので、後々蘇生した女性からセクハラで訴えられるのを恐れて一般人の男性が女性に対してAEDを使用するのをためらって、結果として助かる女性が少なくなっているそうです。
残念な状況ですね。これももし、AEDを使用するに際して女性の胸を開いたりブラジャーを取ったりするのはセクハラでは無い。というようにセクハラ罪という法律が規定していれば避けられる事態です。
しかしセクハラとは行為というよりも、相手がどう思うかという点が強いので、仮にAEDの使用の為だとしても、それをセクハラだと受け止める女性がいるだろうなというのは想像出来ます。難しいんです。
そもそも肩に触れるだけでもセクハラだと感じる人もいれば、◯◯さんに触られるなら大丈夫という人もいるでしょうから、一概に肩を触るのはセクハラと決めつけるわけにはいかないわけです。
そもそもレイプですら、合意があっただの無かっただのといった心の部分で争われることがあるのに、セクハラですべての人とは言わないけど大多数の人が合意する法律を決めることが出来ないでしょうね。
まあ、キリスト教やイスラム教など宗教の教えに基づいてセクハラ罪を決めるということは可能かもしれませんが、そんなことをすれば信教の自由だとか、他宗教の人はどうするのかという問題も出てくるかもしれません。
話を戻して、〇〇さんに見られてニヤニヤされるのもセクハラである。と、主張する女性もいるでしょうけど、それをセクハラ罪の一つとして規定したら、社会そのものが分断されるでしょうね。
にっこりとニヤニヤの違いなんてそれこそ主観によるものですし。
それから女性から男性へのセクハラっていうのもありますよね。『男のくせに』という発言や、『男にだけ力仕事を任せる』ということもセクハラであるという意見もあったりします。
そういうことを色々考えると、今回のフジテレビの中居正広さんの件は、決着のつけようが無いですね。
それこそセクハラ罪を無理矢理にでも作っておけば、なんとかなったんでしょうけど、難しいですよね。いったい海外ではどうやってセクハラに関する法律を作ったんでしょうね。相当無理に無理を重ねて作ったんじゃないかと想像するんですけど、まあ調べるほどのことじゃないかな。
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