前に書いたスマホとかパソコンを欲しがる利用者さんのことなのですが、「スマホを買ってもそれが不良品とか使えないようなやつだったらどうしようと思ってなかなか買えない」というようなことを言っていたから、「駄目なやつだったなら、交換してもらえばいい」と答えたら、「楽観的ですね」と返されたので、「心配してなんとかなるならいいけど、心配してもどうにもならないようなことは心配してもしょうがないでしょ」と言ったら、「悟っていますね」と、感心されたのか呆れられたのか分からないようなことを言われて終了した。
心配とは基本的に未来のまだ起こっていない状況についてああでもないこうでもないと思考を巡らすことだから、対策を考えて実行できないような心配事はするだけ無駄です。
地震が起こるかもしれないと予想して心配し、地震対策として防災グッズを揃えたり、食料などの備蓄をするのは意味ありますけど、「心配だ、どうしよう」と悩むだけなら心配するだけ無駄です。
心配な予想があれば、必要な対策をしたあとはもう運を天に任せるという感じで良いんじゃないでしょうか?
今年の頭に大動脈解離とか腸閉塞とかになりましたけど、対策としては塩分や脂肪分を控えるとかアルコールや炭酸飲料を控えるとか、カロリー制限等をして体重を落とすことで血圧を下げるというものがあります。あとは軽い運動。
そういった対策をしているのなら、再発とかに関しては運を天に任せるという気持ちですね。することしているのなら、それで良し。
心配するのは良いんです。心配したならそれに対して対策を講じて実行する。そうしたらもう心配しない。心配だけして心配し続けるのは駄目な対応です。ストレスでやられてしまいます。
というわけで心配はしても心配し続けてはいけないということですね。心配したら対策をしてそれで終わり。もしも対策が取れないような心配ごとなら、心配しても無駄だから心配しない。
例えば隕石が落ちてきて災害が起きたら、人類が滅亡したら、という心配はするだけ無駄です。対策のとりようがないんだから。
心配してなんとかなる心配と、心配してもなんともならない心配を区別しないといけませんね。
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