2024/08/16(金)の日記 8月も後半。思い出すこと。

  学生の頃は8月16日と言えば夏休みも後半に入ってしばらく経っているわけで、夏休みもあと残りわずかという感覚になってくる頃です。

 社会人になってからは、夏休みとは無縁の会社ばかりで働いてきたので、もうそういった感覚はあまり覚えていないのですが、確かに昔はそういう感覚がありました。

 小学生の頃は母の実家に何日か泊まりに行ってました。三重県の楠町という町です。三重県の四日市市と言えば、昔は公害で有名でしたけど、その南隣の町が楠町です。そこには鈴鹿川から分岐した鈴鹿派川という川が流れていました。その川の堤防のすぐ側に母の実家がありました。

 家の裏には今表現するならドブ川のような排水路のようなものがありました。家の裏に行くとそこの泥をタモですくうとドジョウなんかも捕れたりしましたが、たいていは小さなフナだったり、あるいはオタマジャクシくらいしかいませんでした。


 堤防を上ると川が見えますが、すぐに川があるわけではなく、堤防の向こうには笹ヤブが生えていました。その笹ヤブを抜けると川原なのですが、川には常に水が流れているわけではなく、雨が降った後にはけっこうな水が流れているのですが、天気が続くと川が干上がっていました。

 川底の砂が乾いて歩きにくかったのを覚えています。砂利混じりの砂浜のような感じでした。

 おそらく雨が降って鈴鹿川の水量が増すと、支流である鈴鹿派川のほうにも水が流れて来るのでしょう。

 流れて来る水は鈴鹿川の上澄みのような部分でしょうから、当時はけっこうきれいな水が流れていました。水着に着替えて浮き輪を持ち、鈴鹿派川に行って、浮き輪の真ん中の輪の部分に座って、川の流れに乗って流されていくような遊びをしていました。



 川の流れに乗ると言っても、そもそも水量が少ないし、砂浜のような川岸にすぐにぶつかってしまうので危険は無かったです。というか子供の背丈でも深いところは無かったですし。

 川の流れに乗って少しだけ下流に行ったら、今度は水が無い砂床の部分を歩いて上流まで戻り、また川の流れに乗って下流に流されていく。まあ数十メートルしか流されないのですが。今思い出すと、楽しい夏休みでした。

 ちなみに冬場、つまり正月に行くと、川は枯れていることが多いのですが、今度は堤防の上で凧揚げをして遊んでいました。また、凧揚げに飽きると笹ヤブの笹を折って、笹とタコ糸を使って弓と矢を作り、川のほうに向かって矢を射って遊んだりもしました。



 さらに言うなら春は堤防で土筆(つくし)採りもしましたね。いっぱい採ったら、母や祖母に料理してもらいました。そうです。その堤防は土で出来た土手でした。

 そう言えば、保育園くらいの時は、祖母と一緒に冬にたき火をしていて、その火が土手の枯れ草に燃え移ってしまい、堤防中が見渡す限り燃えてしまったのは忘れられない思い出です。ははは。

 なんか記憶があいまいだけど、祖母と私は母からかなり怒られたような気がする。

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