今、テレビからプロ野球に関するニュースが流れているのですが、野球を応援して楽しんでいる人の気持ちが分からない。自分にとっては何の面白みも感じないのだから、それを面白がる人が世の中には居るらしいということは理解できる。しかしそれだけです。
その他にも各種スポーツについても同じことが言えます。サッカーもバスケットボールもゴルフもスキーやスケートも。自分でプレーするわけでもないのに何が面白いのだろうかという気持ちが消えません。
別に自分がプレーするのが楽しいというなら分かるんです。まあ私は自分がプレーするのも嫌いなのですが、体力づくりとか、いわゆる勝負とか、そういう方面からなら分からなくは無いです。自分じゃしませんけど。
でも基本的には自分ではプレーしないのに、他人がプレーしているのを応援するという感覚が分からない。自分の子供が試合に出ているとかなら、軽く「がんばれよー」くらいは思うだろうけど、プロ野球を応援している人たちのような熱狂は出せないです。
本当に分からない。
まあ応援したい人は勝手にすれば? くらいの感覚なので、スポーツの応援に熱狂出来る人からすれば、私は変な人に見えると思います。
あと、分からないと言えば、すぐに怒ったことを表に出す人。それも分からない。自分自身が怒らないわけではなくて、私も心の中ではけっこう怒っているのですが、それをストレートに表に出すことは少ないと思っています。表に出すときは自分的には相当怒っている時ですね。
人は他人の気持ちをその表情や言動から類推して理解していますが、その基準は自分の気持ちと自分の表情や言動との比較です。
というわけで私はまだ子供の頃は、『他の人はなんでいつもあんなに怒っているんだろう』と思っていたわけなのでした。つまり『自分があそこまでの言動をする時はものすごく怒っている時なのだから、他の人もものすごく怒っているんだろうな』と、判断していたわけです。
しかし大人になるにつれて理解したのは、『どうやら他の人は私がちょっとムッとした程度の怒りの時でも、私がものすごく怒った時と同じような言動をしているらしい』と、いうことでした。
つまり心の中で私が1の怒りを持っている場合は、1の怒りの言動を取るのに対して、他の人は心の中で1の怒りを持っている場合は、私の基準で10の怒りの言動を取っているのではないだろうかということを理解したわけです。
だからもう私にしてみたら感覚的には他の人の怒りの度合いが分からないというか、どうしてすぐに怒ったことをそんなにも激しく表に出すのかということが分からない。
自分が怒っていることをすぐに表に出すというのって、みっともなく感じないんだろうか? 感じないんだろうねえ。
あと分からないのは、デモをする人たちかなあ。『○○反対』と連呼するんじゃなくて、『これこれこういう理由で○○に反対します』と、論理的に説明してくれないかな。そうしてくれればもしかしてその反対理由に賛成できることもあるかもしれないけど、ただ単に反対、反対と言っているだけだと、賛成しようがないし。
まあ、そういう反対、反対と言っているだけの人は、論理的に説明できない。説明する能力が無いから、反対、反対としか言わないのだろうなと思っているんですけどね。
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