勤めている介護施設で運転手をしている人と送迎時の車の中で話すのですが、この人が本当に野球が好きで、他の人も野球が好きだという前提で話をするのです。
私は野球にもですが、そもそもスポーツ全般にまったくこれっぽっちも興味がないので、色々と話を振られても発展的な会話になりません。
『そうなんですか』、『なるほど』、『大変ですね』といった無難な返事のみで会話を成り立たせているようなものです。
で、その人の孫と一緒に今度、名古屋ドームまで野球観戦をしにいく予定らしいのですが、孫はあんまり野球が好きではないそうです。しかし運転手の人は、『今度は応援がある外野席を予約したから面白いですよ。選手ごとに応援の歌もありますし、みんなで応援したら楽しいですから、孫も野球が好きになります』と、言っていました。
まったく理解できません。そもそもまわりがうるさく応援している場所で野球観戦するなんて、私にしてみたら拷問に近いですから。一緒に応援しろと言われたら拷問そのものです。
どうして野球好きの人は、野球が嫌いというか興味が無い人もいるという思考にならないのでしょう。
さて、それは野球以外でも言えますが、人はそれぞれ別々の趣味を持っていますから、趣味の強要だとか、あるいはその人の趣味を否定するとかは、やっちゃダメなことです。
ですから私はブログで趣味としての野球観戦などは分からないと言いますが、分からないだけで、否定はしていません。そのかわり私の趣味を否定しないで欲しい。否定しないということは、『○○さんも野球観戦に行けば、面白さがわかりますよ』というのも趣味の強要であり、それまで持っていた趣味の否定です。
人は人、自分は自分でいいじゃないですか。だからメジャーな趣味の人は……。と、思うのですが、人間観察としてはその手の人達と話すのは面白いですね。
はてさて、そのお孫さんは野球観戦好きになるのでしょうか?
それはそうと、趣味というのは家庭に負担をかけることはなるべくしないほうがいいですね。独身の人が金も時間もたっぷりかけて趣味に没頭するのはかまいませんが、家庭を持っているとかですと、いろいろと制限がありますよね。まあ、配偶者や子供たちが理解しているなら良いんですけど。
そういう意味なら野球観戦くらいならまだいいですね。少なくとも家庭を破壊する程ではないし。(例外はあるかもしれないけど)
まあ他人の趣味の理解は出来なくても、なるべく否定はしないようにしたいです。ただ、家庭をかえりみないような趣味はダメだと思いますけど。
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