第二地球圏物語 前史
It is historical in front of The second Earth area story
妖精的日常生活 お兄ちゃんはフェアリーガール
作:紅衣北人 / ジャージレッド
「皆さん、おはようございます。昨日予告しておきましたけど、今日からうちのクラスに転入してくる生徒を紹介します」
緑ヶ丘高校の2年4組のクラス担任、花井恵里先生は教室に入ってくるなり嬉しそうに話し出した。いつもは真面目なだけがとりえですというような堅物なのだが、今日に限ってはにこにこと笑顔を浮かべている。なんだか気味が悪いと感じた生徒も数人では済まないだろう。
「なんと転入生は妖精さんなんですよ。しかも普通の妖精さんとは違って、天使のような純白の鳥の翼のような羽をした妖精さんです。ちなみに女の子ですよ。さあ、というわけで転入生さん、入ってきて自己紹介してください」
そして花井恵里先生は少しだけ開けてあったドアのほうに向かって転入生を呼んだ。すると青白いオーラの軌跡を残しながら飛んできたのは、確かに白い鳥のような翼を羽に持つ青いショートヘアの妖精の女の子だった。そのまま教壇の上まで飛んでくると、その白い羽を軽く羽ばたかせながら器用に空中に静止した。身には忠実に妖精サイズまで縮小したブレザーを基調とした緑ヶ丘高校の女子用制服を着用している。
その姿を見て、何人かの生徒は「おお、あれが……」などと小声で話しているが、妖精が転入してきたというのに教室内はいたって静かなままだ。
「はじめまして。長谷川美姫と言います。美しい姫と書いて美姫です。見ての通り妖精ですが、よろしくお願いいたします。それから……」
しかし、美姫と名乗った妖精の少女がさらに何かを言おうとしたとき、それを遮る声が教室内に響き渡った。
「お兄ちゃん。何やっているのっ!」
ガタンと椅子を倒しながら立ち上がったのは、詰襟の学生服に身を包んだ華奢で少女のような顔をした小柄な少年だった。肩がぷるぷると震えている。
「お、珠美香。やほーっ。今日から同級生だね。それからお兄ちゃんじゃなくてお姉ちゃんだぞ。訂正よろしく」
妖精少女は少年に向かって両手を大きく振り回す。
「そういえば長谷川珠美香君は美姫さんの弟さんだったわね」
花井恵里先生は名簿を見ながら確認する。
「いちおう妹です」
すると珠美香がすかさず不機嫌そうに小声で訂正した。学ランを着ている生徒が自分は妖精少女の妹だと主張するのはどこか妙である。
「もう珠美香ったら、まだ現実が受け入れられないの。私なんか妖精の女の子になったことをこんなにも受け入れているのに」
美姫は教室に座る他の生徒達の頭の上を飛び越えて、席で立っている珠美香のほっぺたに身体をすりよせながら甘い声を出す。
「現実を認めてないわけじゃないけど、感情が納得できないというか、やっぱり私は女の子だっていう自覚のほうが強いし」
徐々に小さくなる珠美香の声。
「私じゃなくて、僕でしょ。俺とまでは言わなくていいから、珠美香も男の子になったんだからせめて自分のことは僕と言おうよ」
「それはそうなんだけど」
元は正真正銘の女の子で今でも気持ちの上では女の子な珠美香だが、身体が男の子になっていることだけは不承不承ながらに認めているらしい。ちなみにご想像通り、美姫は元男の子であるのは言うまでもない。
「はいはい、家族の会話はそこまで。じゃあ美姫さんは珠美香君の隣の机を空けておいたからそこに座ってくださいね」
「はーい。わかりました♪」
元気よく返事をした美姫は、窓際にある珠美香の席の右隣の席の椅子ではなく、机そのものに着地した。そして妖精少女が転入してきたというちょっとだけいつもと違う日常を飲み込んで、緑ヶ丘高校の時間は進んでいくのであった。
ところでなぜ妖精が目の前に出てきても周りの生徒達は何も反応しないのであろうか。それには当然わけがある。なぜなら今どき妖精など珍しくもなんとも無いのだ。少なくともここ日本では。
西暦2000年、20世紀最後の年。人々が世紀末という閉塞感ある言葉を忘れかけ新世紀がもうすぐやってくるという期待感を持ち始めていた頃、それは起こった。異世界の妖精によるランダムかつ大量な召喚事件である。
ある日突然、限りなくリアルな夢の中にいわゆる妖精が出てきたかと思うと、妖精世界を侵略しているという金属で出来た生きた機械、つまりロボット達と戦うためにあなたの身体を召喚したいと要求される人間が続出したのだ。
リアルとはいえ夢の中での出来事だったので、それに応じてしまった人間が大勢出たのだが、翌朝に目が覚めてみるとその人の身体は妖精の身体に交換されていたのだ。
ヨーロッパの民話では、妖精が人間の子供をさらった後に妖精の子供を代わりに置いていく取り替え子と呼ばれるチェンジリング伝説が語られているが、現代に起こったリアルなチェンジリングとして大々的に報道され社会問題にもなった事件だ。
ところで全世界的に発生した妖精の召喚事件であるが、その発生件数は圧倒的に日本国内において多い。日本の召喚事件数は、世界全体の召喚事件数のおよそ9割にのぼるというから驚きだ。
妖精が人間の身体を召喚するに際して人間の本名を聞きだし、本人の同意を得ないといけないと言われている。したがってノーと言えない日本人の特性が関係しているのではと噂されたが、それは単なる推測であり事実とは違うようだった。なんでも各国の調査によると夢の中に妖精が出現した人間の数そのものにおいて、日本は突出しているというのだ。なぜなのかという真相は現時点では分からない。
結果的に妖精に自分の元々の身体を取り上げられて、代わりに妖精の身体を押し付けられた人が日本においては大量に発生し、そしてその召喚事件は現在もまだ継続中であることから、妖精による召喚事件が発生してから10数年を経た現在、なんと約1億2000万人の日本人口に対して0.74%にあたる88万 8000人もの元人間の妖精が存在しているのだ。あちこちに妖精が居るというほどではないが、ときおり妖精を目にすることは普通にある状況なのが現在の日本なのだ。
ちなみに妖精がその身体を召喚するために選ぶ人間の基準は、その魂の波動が夢に出てくる妖精の魂の波動と同じであることが唯一無二の絶対条件であるらしく、性別や年齢の差は一切問題にされないらしい。その為、元は中年男性だったのに現在はロリロリな妖精少女になってしまった人も居るし、女子高生だったのに壮健な肉体を持つマッチョな妖精の男性になってしまった人も居る。簡単な話、妖精に召喚されてしまった人は、その約半数が性転換も伴っているということになる。
しかし珠美香と美姫の場合は事情がもう少し複雑だった。それを説明するには約1年以上前まで遡る必要があった。
「珠美香ちゃん、いよいよね」
昨日入学式を終えて、今日から晴れて緑ヶ丘高校での高校生ライフが始まった日の帰り道、長谷川珠美香は中学時代からの友人のひとりである大島早苗に話しかけられた。
「いよいよって、何が」
「とぼけなくてもいいじゃない。杉野先輩のことが好きで緑ヶ丘高校に追いかけてきたんでしょ」
きゃあきゃあと騒ぐわけでもなくメガネをキラリと光らせながらつっこみを入れたのは、珠美香のもう1人の友人、水城江梨子だ。まったく多感な女子高生にあるまじき冷静さだ。
「そうそう、告白するのよね。杉野先輩に」
ふわふわとした雰囲気ながらも的確に追い討ちをかける早苗。
「な、なに言ってんのよ。違うわよ。まったく。杉野先輩のことは関係ないって」
目の前で立てた右手を振りつつ慌てて否定をする珠美香。手の振りすぎなのか顔が赤くなっている。
「ほんとかしらねえ。でもまあ珠美香ちゃんがそう言うならそういうことにしておきましょうか」
これからいくらでも珠美香をからかう機会はあると思っている早苗は、それ以上の追求をするのはやめておいた。
「いや、だから本当に関係ないってば。演劇部のみんなが杉野先輩に招待されて緑ヶ丘高校の文化祭に来たことがあったんだけど、そのときに緑ヶ丘高校って感じのいい学校だなあと思ったから、第一志望にして勉強してきただけなんだから」
「やっぱり杉野先輩が関係していたということに間違いはないと」
珠美香の言葉尻を無理矢理とらえる江梨子。口元がふっふっふっと笑っている。
「だから違うって……。あ、あれ何。妖精がいる」
早苗と江梨子に反論しかけた珠美香だったが、急に左斜め前方の民家の屋根の上を指差さしながら驚きの声をあげた。
「ほら、あの赤い瓦の屋根の上に妖精の女の子が居るのよ」
なにやら慌てた様子の珠美香。興奮しているのか顔が少し赤い。
「話をそらそうとしない。いまどき妖精なんて珍しくもないじゃない」
「そうそう、江梨子ちゃんの言う通り。今、問題なのは杉野先輩のことでしょ」
早苗と江梨子は珠美香の言うことなど気にもかけず、妖精が居るという方向を見向きもしない。まあ、普通に町を歩いていれば妖精の1人や2人くらいは見かけてもおかしくないのだから無理もない。
「でも、あの妖精の女の子、服を着てないし、なんだか身体が透き通っているような感じだし、普通の妖精じゃないのよ」
自分でも分からない妙な胸騒ぎを感じて、珠美香は不安な声を出す。そのいつもとは違った珠美香の声に反応して、ようやく早苗と江梨子は珠美香が指差した先へと目を向けた。
「何も見えないけど。珠美香ちゃん、話をそらすにしてもちょっと下手すぎたわね」
珠美香が指差す方向には妖精どころかすずめの子すら居ないのを確認した江梨子は、じと目で珠美香を見るのだった。
「まあ、そこまでしてごまかそうとするからには、珠美香ちゃんの杉野先輩に対する愛は本物ってことでいいのよね。応援してるわよ」
早苗は早苗で、これでここしばらくの娯楽には事欠かないと思っているのか、妙にうれしそうだ。
「だから違うの。本当に妖精が居るのよ。金色の長い髪をした妖精さんが。あっ、やだ。こっちを向いた」
そして次の瞬間、珠美香と目が合った妖精はニコリと笑顔を浮かべると背中から純白の鳥のような羽を伸ばして、珠美香めがけて飛んできた。裸身のまま長い髪をなびかせてすべるように飛んでくる妖精の少女。透き通った身体は、リアルな肉体を持った妖精とはまったく違う存在であることを主張している。
「わっ、ぶつかる」
珠美香は小さく声をあげながら右腕で顔をかばった。そして珠美香めがけて一直線に飛んできた妖精の少女は珠美香の胸の辺りにぶつかると、そのまま吸い込まれるように消えていった。
「どうしたの。高校でも演劇部に入る予定だからって、街中で演技しなくてもいいんじゃない」
珠美香の様子を横で見ていた江梨子が、どこかあきれたような声を出す。
「珠美香ちゃんのその努力に免じて、今日のところは杉野先輩のことはもう聞かないでおくわ。というかこれからいくらでも聞く機会はありそうだしね」
早苗も、やれやれといった雰囲気だ。どうやらふたりには珠美香が見た妖精の姿が本当に見えなかったらしい。今の珠美香のしぐさや反応のことは完全に話題そらしの為の演技だと思っているようだ。
しかし珠美香は早苗や江梨子の言葉にはまったく反応することなく、ただ呆然と立ち尽くしていたのだった。
「さて、本日の妖精召喚事件関係のニュースです」
その晩、長谷川家の夕食の時間には、いつものようにテレビからニュースが流れていた。
「ここ1ヶ月程、妖精による召喚事件は1日あたり数十件という具合に下火になっていましたが、3日前より各地の市町村役場には妖精に召喚されたという報告が急増しております。最新のデータによりますと4月16日から18日までの3日間で妖精に召喚された方々の数は全国で2,748名に上り、その大半が最も一般的なトンボや蝶のような虫の羽を持つ妖精とは違い、本来なら少数派であるはずのコウモリ及び鳥の翼のような羽を持つ妖精とのことで、妖精召喚事件は新たな段階に入ったのではないかと推測する専門家もいます。これにつきまして厚生労働省は、いたずらに不安に思うことなく冷静に対処して欲しいという談話を発表いたしました」
妖精という言葉に反応したのか、珠美香の箸を持つ手が止まった。その目はテレビに釘付けになっている。
ちなみに西暦2000年より現在までの10数年間、日本国内において平均すると1日あたり約200人程度の人間が妖精に召喚されていることになる。また妖精が暮らしていくことに関するインフラが最も整っているということで、海外において妖精に召喚された人達の一定数が日本への移住を希望し、それを果たしている。
その妖精にも人種の違いのようなものがあり、外見的な特徴が存在する。基本的に妖精はそのサイズを別にすれば人間の基準で言うところの美男美女しかいない。理由は不明ながら不細工な妖精というものは存在しないのだ。外見的には非常に整った種族が妖精といえる。しかしその羽は別である。
妖精の特徴を一言で表せば、人間そっくりの外見をしつつもそのサイズは約25cm程度であり、背中に羽が生えているということになるのだが、その羽は半ば物質、半ば霊的なもので出来ているとみなされている。霊的という言葉に抵抗があるならエネルギー体という言葉に置き換えても良い。
普段の妖精の背中には小さな飾りのような羽根しか生えていないのだが、妖精が空を飛びたいと願いイメージすると、その羽が淡い発光現象と共に大きく伸びていくのだ。左右に広げると優に妖精の身長の1.5倍から2倍程度にまでに広がるその羽は、けっして幻ではない。その証拠に怪我をすればちゃんと血も出るし、もちろん触覚も痛覚も存在する。
飛ぶのをやめて着地すると、今度は先ほどまで伸びていた羽が逆のプロセスにて小さくなるのだが、その原理は不明なままだ。
そして妖精という種族同士における外見的な最大の特徴は、やはりその羽である。大まかに言うと妖精の羽は3種類に分類される。
まず最も多く存在するのが虫のような羽である。これが妖精全体の7割を占めている。しかし虫のような羽といってもさらに種類が存在し、トンボのような透き通った羽が最も一般的であり、その他のものとして蝶のような羽をした妖精やごくわずかだがカブトムシやクワガタといった甲虫のような羽をした妖精もいる。
2番目に多いのがコウモリのような羽である。コウモリのようなという表現をしたが、正確に言うとコウモリの翼そのものという羽をした妖精もいれば、西洋の伝説にあるドラゴンの翼に見える羽となぜか鱗に覆われた尻尾も生えている妖精もいるし、そのサイズはともかくとして、まるで中生代の翼竜の翼のような羽をした妖精もいる。これらコウモリのような羽をした妖精が、妖精全体の2割を占めている。
そして最後にもっとも少数派なのが鳥の翼のような羽をした妖精なのだが、妖精全体の1割にも満たない少数派ながら、その翼の色のバリエーションは類を見ないほど多様であるのだ。現実に存在する鳥の羽そっくりな形や色合いをした羽から、真紅や鮮やかな青といった単色の羽、そして単純な模様から複雑な模様をした羽まで、その多様性は妖精の羽の種類の中でも随一である。
ちなみに珠美香は気がついていなかったが、珠美香が昼間見た妖精の羽は鳥の翼のような羽であると同時に、一切の模様が無い完全な純白をしており、そのような羽をした妖精に召喚されたという報告は今までに一件も存在していなかった。珠美香が目撃したのは非常に希少性が高いタイプの羽をした妖精だったのだ。
話を戻そう。ニュースを見る珠美香の表情は乏しかった。妖精という言葉に反応してテレビの画面を見てはいるものの、未だに昼間の出来事に心をとらわれているのだろう。そんな珠美香の様子を見て、父親の徹也が口を開いた。
「珠美香、なんだか様子が暗いけど、入学早々、もう高校には行きたくなくなったのか」
しかし訊かれた珠美香は父親の問いかけに何も反応せず、既に妖精関連のニュースから経済関係のニュースへと切り替わった画面をうつろな目で見続けているばかりだ。
「まさか俺と同じ高校に行けなかったことが悔しかったとか」
珠美香より1つ年上である兄の幹也が、さりげなく自分の高校のほうがレベルが高いと自慢する。
「幹也、そういうことを言うもんじゃありません」
すかさず母親の喜美香が幹也をたしなめる。どんな場合であれ、自慢というのはよろしくないというのが長谷川家の主婦、喜美香の考え方なのだ。
「はーい、分かりましたよぉ」
幹也は気の無い返事を返すと、箸でご飯を口に放り込んだ。
「で、珠美香、何か悩み事でもあるのか」
徹也は自分の息子と妻のやり取りを完全に無視すると、再び珠美香に問いかけた。さりげなく食事をしつつも、幹也と喜美香もまた珠美香が何を言い出すのか興味津々の様子である。
しばらくはテレビのニュース番組のアナウンサーの声だけが台所に流れていたのだが、やがて珠美香は重い口を開いて昼間の出来事を話し始めたのだった。
「珠美香にしか見えない妖精が現れて飛んできて、珠美香の中に消えていったと、つまりこういうことなんだな」
じっと娘の話を聞いていた徹也は、右手であごを撫でながら言葉を続けた。
「もしかして目をつけられたんじゃないか。妖精に召喚されないように気をつけたほうが良いかもな」
妖精に召喚されるというファンタジーなセリフが父親から自然に出てきても、家族は誰も笑わない。妖精の召喚事件というものが一般的な常識として浸透しているということもあり、珠美香の話を聞いてみんながそう思ったのだ。
身体の大きさと羽の存在の有無を別にすれば、妖精と人間を外見だけで区別するのは難しい。それほど似通った存在なのだが、妖精の肉体は人間のそれとは根本的に構造が違っているらしい。原因はさっぱり分からないのだが、妖精は携帯電話やパソコンなどのネットに接続された電子機器に近寄ると不快になり、最悪の場合は気絶してしまうという特徴を持っている。
したがって妖精に召喚されたとなると、それまでの仕事が一切出来なくなるものと覚悟しなくてはならない。
当然ながら妖精サイズの身体では肉体労働をしたくても出来なくなる。事務処理などの仕事もパソコンが使えなくなってしまうのでは話にならない。それどころか携帯電話にすら近づけないのでは今の時代、販売等の接客業にすら就くことが出来ない。
妖精に召喚された瞬間、その個人や家族が経済的に困窮するのは常識となっていた。
ようやく3年前に加賀重工航空機製作部門に属する研究所において妖精に対する電子機器からの悪影響をキャンセルする機械が発明されたことにより、召喚されて妖精の身体になってしまった人間達にも現代社会で生きていける道が開かれたのだが、それでも妖精の身体への順応や転職に苦労することに変りは無い。
妖精から召喚されるということは、基本的に今の生活を捨て去ることに他ならないのだ。
「でも、今までに妖精に召喚される前にそういった前兆を見た人の例ってあったかしら」
食卓に訪れたしばしの沈黙を破ったのは喜美香だった。
「たしかそういう話は無かったはずだよ。妖精に召喚される場合は、それこそある日突然に妖精が夢の中に出てくるはずだと思ったけどな」
母親の問いに答える幹也。顔をしかめて記憶をまさぐっているらしい様子からして、珠美香を安心させようといい加減なことを言っているわけではないようだ。
「じゃあ、昼間に私が見た妖精は何だったのかなあ」
珠美香の顔は晴れない。
「うーん、それは分からないけど仮に本当に妖精から召喚されかかったとしても、承認さえしなければ召喚されないんだから、そんなに気にしなくても良いんじゃないかなあ」
幹也は珠美香に対して兄らしい落ち着いた態度を見せる。
「そうだな。幹也の言うとおりだ。もしも夢の中に妖精が出てきたとしても、絶対に召喚を承認しますとか言っちゃ駄目だぞ。よし、じゃあこの話はこれで終わり」
上手く話をまとめたつもりの徹也が、中断していた夕食を再開し始めた。
「さあ、珠美香、悩んでもしょうがないときはお腹いっぱい食べて、ぐっすり眠っちゃいなさい」
「うん、そうね。でもあんまり食べ過ぎて太りたくはないから、ここまでにしておくわ」
喜美香の勧めに対して、無理して明るく答える珠美香だった。
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